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東京地方裁判所 平成10年(行ウ)221号 判決 2000年12月20日

原告 ネスレ日本株式会社

右代表者代表取締役 ウォルフガング・エイチ・ライヘンバーガー

右訴訟代理人弁護士 中山慈夫

同 中町誠

同 男澤才樹

被告 中央労働委員会

右代表者会長 山口浩一郎

右指定代理人 諏訪康雄

他3名

被告補助参加人 ネッスル日本労働組合

右代表者執行委員長 笹木泰興

右訴訟代理人弁護士 野田底吾

同 古川景一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が中労委平成三年(不再)第二一号事件(初審兵庫地労委昭和六三年(不)第六号事件、同第一〇号事件及び平成元年(不)第六号事件)について平成一〇年九月一六日付けで発した命令を取り消す。

第二事案の概要

原告には、被告補助参加人及び被告補助参加人と同一名称であるが、別の労働組合(以下「訴外組合」という。)が存在する。

被告補助参加人は、原告が被告補助参加人を嫌悪し、昭和六二年夏季賞与、同年冬季賞与及び同六三年夏季賞与(以下、一括して「本件各賞与」という。)の支給に当たって、訴外組合と新たに締結した各賞与協定(以下、一括して「本件各賞与協定」という。)において新たな控除基準(以下「新控除基準」という。)を設け、被告補助参加人の組合員について訴外組合の組合員であるとしてこれを適用することにより、被告補助参加人の組合員の賞与を大幅に減額して支給したことが不当労働行為に当たると主張して、昭和六三年六月九日、同年一二月六日及び平成元年六月九日、兵庫県地方労働委員会(以下「兵庫地労委」という。)に対し、不当労働行為の救済申立てをした。

これに対し、兵庫地労委は、本件各賞与について、訴外組合と合意した新控除基準を被告補助参加人の組合員に適用して支給したことが不当労働行為に当たることを認め、原告に対し、①本件各賞与の年間支給月数を本件各賞与協定の六・二か月とし、これから本件各賞与協定前の控除基準(以下「旧控除基準」という。)に準じて控除した場合の額と既支給額との差額を支給すること、及び②誓約書の交付を、それぞれ命じる旨の救済命令(以下「本件初審命令」という。)を発した。

これを不服とした原告は、被告に対し、再審査の申立てをしたが、被告は、本件初審命令の判断を相当であるとして是認し、原告の再審査の申立てを棄却する命令を発した(以下「本件命令」という。)。

本件は、原告が本件命令の取消しを求めて提起した行政事件訴訟である。

一  争いのない事実等(証拠により認定した事実については、各項の末尾その他の箇所に証拠を挙示した。)。

1  当事者等

(一) 原告は、インスタント・コーヒー等の製造・販売を主たる目的とする資本金三五〇億円の株式会社であり、霞ケ浦、島田等に工場を、東京等に支店を有し、被告補助参加人が最初に本件初審申立てをした昭和六三年六月九日当時の従業員数は約二三〇〇人であった。

(二) 被告補助参加人は、原告の従業員で組織する労働組合であり、本部のほか、神戸、霞ケ浦、島田、東京等に支部を有し、前記本件初審申立て時の組合員数は約八〇人であった。

なお、被告補助参加人の執行委員長は、前記本件初審申立て時は斉藤勝一(以下「斉藤」という。)であったが、現在は笹木泰興である。

(被告補助参加人の構成員、組合員数につき、《証拠省略》)

(三) 原告には現在被告補助参加人のほかに原告の従業員で組織する別の労働組合(訴外組合)が存在し、前記本件初審申立て当時の組合員数は約二〇〇〇人であった。

2  原告に被告補助参加人と訴外組合が併存するに至るまでの経過について

(一) 原告には、昭和四〇年一一月に従業員らにより結成されたネッスル日本労働組合(以下「ネッスル労組」という。)があり、被告補助参加人の組合員も訴外組合の組合員も、かつてはその組合員であったが、昭和五七年七月ころから次期本部執行委員長のポストをめぐって、現職の本部執行委員長川上能弘(以下「川上」という。)を推す組合員らと当時姫路支部執行委員長であった三浦一昭(以下「三浦」という。)を推す組合員らとの間で、激しい対立抗争が始まった。

(二) ネッスル労組の代議員選挙が昭和五七年一〇月一八日に行われ、川上を支持する代議員が当選者七七人中四二人と多数派を占めたのに対し、同月三〇日に行われた本部役員選挙では、三浦が本部執行委員長に選出されるとともに、同人を支持する組合員らが本部役員の要職を占めた(以下、三浦を支持するグループを「三浦派」という。)。

(三) ネッスル労組の第一七回定期全国大会は昭和五七年一一月六日及び七日に開催されたが、三浦派の代議員三五人は欠席したため、定足数を欠き流会となるべきところ、当時本部副執行委員長であった斉藤は、川上を支持する代議員のみで同大会を開催した。さらに同人らは、同月一三日に第一七回定期全国大会の続開大会を開催し、斉藤を本部執行委員に選出したほか、自派組合員のみで役員を選出した(以下、斉藤を支持するグループを「斉藤派」という。)

(四) その後斉藤派は、斉藤委員長の方針に同調する組合員から、三浦派による支部大会や選挙に加わらない旨の確認書を提出させ、自派の構成員を確定し、昭和五八年三月二〇日第一九回臨時全国大会を開催し、ネッスル労組が既に分裂状態にあることを確認した上、改めて斉藤を本部執行委員長に選出するとともに、自らを「ネッスル第一組合」と略称し、支部に独自の交渉権を認めるなど組合規約も改正した。

なお、被告補助参加人は、同大会終了後、選出された役員名を原告に通知し、その後も役員に変更が生じたときはその都度原告に通知した。

(五) 一方、三浦派は、前記(二)の本部役員選挙の結果、三浦が本部執行委員長に当選したとするとともに、自派の組合員のみで役員を選出し、昭和五八年六月四日及び五日に第一回臨時全国大会を開催して、三浦派役員がネッスル労組の正当な本部役員である旨の大会宣言を採択した。

このようにして原告には、昭和五八年三月の後同年前半までの間には、「ネッスル日本労働組合」という名称を同じくする、斉藤を本部執行委員長とする被告補助参加人と三浦を本部執行委員長とする訴外組合が存在するに至った。(被告補助参加人が存在するに至った時期につき、《証拠省略》)

(六) 原告は、当初から被告補助参加人の存在を否認し、原告にはネッスル労組が存在するだけであり、訴外組合とネッスル労組とが同一組織であって、被告補助参加人は訴外組合内部の一分派にすぎないとの見解の下に、被告補助参加人からの団体交渉の申入れを拒否し、ネッスル労組との協定に基づき、被告補助参加人の組合員の給与からチェックオフした組合費相当額を訴外組合に渡すなどの行為を繰り返した。そこで、被告補助参加人並びに同東京支部、同島田支部及び霞ケ浦支部は、原告の右各行為が不当労働行為であるとして、昭和五八年六月から九月にかけて、東京都地方労働委員会、静岡県地方労働委員会及び茨城県地方労働委員会に救済申立てを行った。右各地方労働委員会及び中央労働委員会(被告)は、昭和六一年六月までの間に、被告補助参加人の労働組合としての存在を認めた上で、原告に対し団体交渉応諾、チェックオフの禁止を命じる旨の救済命令を発した(これらの救済申立て事件を以下「団体交渉・チェックオフ事件」という。)

これに対し、原告は、右救済命令を不服として、被告を相手に東京地方裁判所にその取消しを求める行政事件訴訟を提起し、他方、被告は、労働組合法二七条八項に基づき緊急命令の決定を同裁判所に申し立てていたところ、同裁判所は、昭和六一年一二月一日及び同月四日、①原告は、被告補助参加人の当該支部に対応する工場に関する事項について被告補助参加人からの団体交渉の申入れがあったときは、「原告又はその工場には訴外組合又はその支部一つしか存在せず、被告補助参加人又はその支部は存在しない。」という理由で、これを拒否してはならない、②原告は、被告補助参加人支部に所属する組合員の給与からチェックオフした組合費相当額を当該支部に支払え等を内容とする決定(緊急命令決定)を行った。

また、右行政事件訴訟は、平成元年一二月七日及び平成二年五月二七日、救済命令に違法はないとして棄却され、原告の右各行為は、平成七年二月二三日の最高裁判所の判決においても、不当労働行為に当たるとされた。(救済命令発令時期、行政事件訴訟の判決内容につき、《証拠省略》)

なお、原告と被告補助参加人ないしその組合員との間には、右チェックオフの禁止をめぐる争いや、組合員の配置転換、降格をめぐる争い等、多くの係争事件が生じた。

3  賞与の従前の取扱いと本件各賞与協定の締結等について

(一) 賞与の取扱い

(1) 原告は、昭和五七年三月一八日ネッスル労組との間で労働協約を締結し、同年五月三一日、昭和五七年度の賞与の支給についても同労組との間で協定書を取り交わした(以下、これらを一括して「昭和五七年協約」という。)。昭和五七年協約には、賞与算定の基礎となる勤怠状況の対象期間及び賞与からの控除基準(旧控除基準)が定められたが、その後も各賞与協定締結ごとに旧控除基準によることを確認する形がとられ、旧控除基準は、昭和五八年冬季賞与から昭和六一年冬季賞与までの間合計七回の賞与に適用された。

(昭和五七年協約の締結時期につき、《証拠省略》)

原告は、賞与の支給にあたっても、被告補助参加人の組合員も訴外組合の組合員であるとして、訴外組合と締結した賞与協定を被告補助参加人の組合員にも適用し、支給していた。

被告補助参加人は、原告が被告補助参加人及びその各支部との団体交渉を拒否し、賞与に関しても交渉を行うことができないため、原告の支給する賞与は仮受金である旨原告に通知し、被告補助参加人の組合員はこれを受領していたが、被告補助参加人は、旧控除基準の適用については特に異存はなかった。

(2) 昭和五七年協約による勤怠状況の対象期間及び旧控除基準は、概ね次のとおりであった。

① 勤怠状況の対象期間

夏季賞与 一月から六月

冬季賞与 七月から一二月

② 旧控除基準

イ 私傷病欠勤

年間二二日以上欠勤した場合は、欠勤日数に応じ、年間賞与の一二分の〇・五から一二分の六の範囲で控除。

ロ 無断欠勤

一日につき、年間賞与の二六〇分の一を控除。

ハ 原告が承認した無給休暇

年間一三日以上の日数に対し、一日につき年間賞与の二六〇分の一を控除(なお、この中には組合休暇が含まれる。)。

組合休暇は、昭和五七年協約により、ネッスル労組の本部、各支部の執行委員について認められ、同休暇が時間単位で取得されたときは、その時間を累計し、八時間につき一日の割合で換算された。

ニ ストライキ

年間労働時間(一九四〇時間)を分母とし、ストライキの累計時間を分子として、これを年間賞与額に乗じて得た額を控除。

ホ 無断職場離脱

その時間を累計し、八時間につき一日の割合で換算し、一日につき年間賞与の二六〇分の一を控除。

(二) 控除基準の変更

(1) 原告は、昭和六二年四月二七日、訴外組合との間で、「昭和六二年春季賃金交渉に関する協定書」(以下「昭和六二年協定」という。)を締結したが、同協定では同年度の賞与についても定められた。これによると年間賞与の支給月数を昭和五七年以降の六か月分から六・二か月分にするとともに、賞与算定の基礎となる勤怠状況の対象期間及び賞与からの控除基準については、概ね次のとおり改めることとされた(この改められた控除基準が「新控除基準」である。)。

① 勤怠状況の対象期間

夏季賞与 前年八月から当年一月

冬季賞与 当年二月から七月

このため、昭和六一年八月から同年一二月までの間が、昭和六一年冬季賞与と昭和六二年夏季賞与で、重複して勤怠状況の対象期間となった。

② 新控除基準

イ 私傷病欠勤

一日につき当該賞与の一二三分の一を控除。

ロ 無断欠勤

一日につき三日分の欠勤とみなし、一日につき当該賞与の一二三分の一を控除。

ハ 原告が承認した無給休暇

①の対象期間ごとに、七日以上の日数に対し、一日につき当該賞与の一二三分の一を控除。

この中には、旧控除基準と同様、組合休暇が含まれ、同休暇が時間単位で取得されたときは、同基準と同じく、その時間を累計し、八時間につき一日の割合で換算された。

ニ ストライキ

九八四時間を分母とし、ストライキの累計時間を分子として、これを当該賞与額に乗じて得た額を控除。

ホ 無断職場離脱

一回につき一日の欠勤とみなし、一日につき当該賞与の一二三分の一を控除。

以上のとおり、旧控除基準と新控除基準とでは、新控除基準で、①私傷病欠勤が一日目から控除の対象となったこと、②無断欠勤が一日につき三日分の欠勤とみなされるようになったこと、③無断職場離脱が一回につき欠勤一日として取り扱われることになったことなどの点で、異なっている。

(2) 原告は、被告補助参加人の組合員にも、昭和六二年協定と同様の内容である本件各賞与協定に基づき、本件各賞与を支給した。

そして、原告は、被告補助参加人及びその各支部の存在を認めていないため、訴外組合の役員には認めている組合休暇を被告補助参加人及びその各支部の役員には認めず、被告補助参加人の役員が組合休暇として届出をして欠勤したり離席した場合も、無断欠勤あるいは無断職場離脱として取り扱った。また、被告補助参加人組合員による原告への申入れないし抗議行動が無断職場離脱として取り扱われることがあったが、新控除基準では、旧控除基準においては累計した時間が八時間を超えたときにはじめて控除対象とされていたのと異なり、離脱時間の長短にかかわらず離脱一回につき欠勤一日として取り扱われたため、控除額も従前に比べて著しく大きくなった。

さらに、原告は、被告補助参加人組合員らが年次有給休暇を申し出て欠勤した場合に、正当な時季変更権を行使したとして、無断欠勤と扱ったことがあった。

また、昭和六二年協定では、欠勤日数が八五日以上とみなされる場合には賞与を支給せず、基本手当、家族手当等の一か月分の範囲内で金一封を支給することとされたが、被告補助参加人の組合員の中には、組合休暇として届け出たが認められず、休暇一日につき三日分の無断欠勤として取り扱われたことにより欠勤日数が八五日以上となり、賞与が支給されない者がいた。

4  本件初審命令

被告補助参加人は、昭和六三年六月九日兵庫地労委に対し、原告を被申立人として、原告が、昭和六二年の夏季賞与の支給に当たり、被告補助参加人を嫌悪して、被告補助参加人の組合員に新控除基準を適用し、訴外組合の組合員に比較して大幅に減額して賞与を支給したことは不当労働行為に当たるとしてその救済申立てをし(昭和六三年(不)第六号事件)、同様に昭和六三年一二月六日には昭和六二年の冬季賞与について(昭和六三年(不)第一〇号事件)、平成元年六月七日には昭和六三年の夏季賞与について(平成元年(不)第六号事件)、それぞれ兵庫地労委に対し、原告を被申立人として救済申立てをした(以下、右三件を併せて「本件救済申立て」という。)。これに対し、兵庫地労委が平成三年三月八日付けで発した命令(本件初審命令)の主文は以下のとおりである。

「1 被申立人は、別表1ないし別表3記載の申立人組合の各組合員に対して、それぞれ別表1ないし別表3の「差額」欄記載の金員を支払わなければならない。

2 被申立人は、本命令書写し受領後、一週間以内に、下記内容の文書を申立人に交付しなければならない。

当社が、昭和六二年夏季賞与、同年冬季賞与及び昭和六三年夏季賞与において、貴組合の組合員に対して行った減額控除は、いずれも兵庫県地方労働委員会において、労働組合法第七条第一号及び第三号に定める不当労働行為に該当すると認定されました。今後、このような行為をしないよう誓約します。

平成年月日

ネッスル日本労働組合

本部執行委員長 斉藤勝一 殿ネッスル株式会社代表取締役社長

M・O・ギャレット」

5  本件命令

原告は、平成三年三月二七日被告に対し、本件初審命令を不服として被告補助参加人を再審査被申立人として再審査の申立てをした(平成三年(不再)第二一号事件)が、被告は、平成一〇年九月一六日付けでこれを棄却する旨の命令(本件命令)を発した。

二  争点

1  不当労働行為の成否について

原告が被告補助参加人の組合員に新控除基準を含む昭和六二年協定に基づく本件各賞与協定を適用して本件各賞与を支給したことは、不当労働行為(労働組合法七条一号、三号)に当たるか。

2  救済方法について

被告が原告に支払を命じた賞与の差額の算定に当たり、賞与の支給月数については昭和六二年協定以降の年間六・二か月を基準とし、控除基準については昭和五七年協約に基づく旧控除基準に準じた取扱いをしたことが裁量権の逸脱であるか。

第三争点に関する当事者の主張

一  原告の主張

1  不当労働行為の成否について

(一) 被告補助参加人の組合員に新控除基準を適用することは、労働組合法七条一号の不利益取扱いには当たらない。

(1) 本件で問題とされる昭和六二年当時、原告においては、就業規則等であらかじめ賞与支給については具体的な支給基準・支給月数は定められておらず、毎年労働組合との合意による労働協約で支給基準・支給月数がその都度決められ、それに従い支給されてきた。

また、賞与は、各期の業績と従業員の勤怠評価を反映したものであるから、各期ごとの業績や従業員の勤怠評価基準は各期ごとに異なるのであり、このような賞与の性格を前提として、各期ごとに賞与の支給基準及び支給月数が具体的に定められるのである。

したがって、原告における賞与は、各期ごとに定められるものであるから、過去における賞与の支給基準及び支給月数について、従業員は何ら既得の利益や期待権を有するものではない。

原告が新控除基準を被告補助参加人の組合員に適用した結果、同組合員に事実上不利益が生じたとしても、それは旧控除基準を適用することとの比較における不利益性にすぎないところ、旧控除基準は、過去の当該期の基準として意味を有するものにすぎず、その後の期と比べること自体無意味であり、まして旧控除基準と新控除基準を比較してその有利不利を論ずることは、あたかも過去の基準を既得の権利ないし期待権として措定するもので、賞与の性格の根本に反し、誤りである。

(2) 原告は、昭和六二年夏季賞与の支給月数に関し、訴外組合との間で、従前の年間六か月から六・二か月に引き上げるとともに、控除基準について旧控除基準からより厳格な新控除基準を適用することを合意したのが昭和六二年協定である。条件面を引き上げる代りに、勤怠の向上を図るべく、欠勤した場合の取扱いなどをより厳格にすることは世間一般にみられるところである。このように支給月数の増加と控除基準の見直しは不可分一体であり、また、新控除基準自体不合理なものではない。

したがって、原告が、被告補助参加人の組合員であるか訴外組合の組合員であるかを問わず、賞与の支給月数を年間六・二か月として支給する以上、新控除基準についても同様に適用することこそが公平で合理的な取扱いなのであって、被告補助参加人の組合員に新控除基準を適用することで同組合員にのみ不利益が生じるものではないから、何ら不利益な取扱いではなく、労働組合法七条一号に該当しない。

(3) 昭和六二年度及び昭和六三年度における訴外組合の組合員は、各事業所において当該事業場の同種の労働者の四分の三以上を占めているから、新控除基準を定める労働協約は、労働組合法一七条の一般的拘束力の要件を具備している。

したがって、被告補助参加人の組合員に対して右の労働協約の効力を及ぼすことは同条によって認められているし、仮にそうでないとしても、これを認める解釈もあるから、原告が被告補助参加人の組合員に対して新控除基準を適用することが不当労働行為となるいわれはない。

(二) 被告補助参加人に新控除基準を適用するとした場合、新控除基準の具体的な適用の場面で差別的な取扱いがあったか否かが問題となるが、この場面では、①新控除基準の控除項目に該当する事由が被告補助参加人の組合員と訴外組合の組合員に等しく存するのに、被告補助参加人の組合員だけを控除対象としたかどうか、②被告補助参加人の組合員の行為について新控除基準の各項目に該当しないにもかかわらず、原告が敢えて該当するとして控除したかどうか、の二点が問題となる。

(1) ①については、原告が訴外組合の役員には認めている組合休暇(「承認無給休暇」に含まれる。)を被告補助参加人の役員には認めていないという取扱いが問題となりうる。

しかし、被告補助参加人に組合休暇を認めないのは、合理的な理由に基づくものであり、差別的な取扱いには当たらない。

すなわち、原告と被告補助参加人の間には、組合休暇に関してその適用の根拠となるべき労働協約は存在しない。原告は、訴外組合に対しては役員について組合休暇を認めるという便宜供与を与えているが、組合休暇に関する取扱いを定めた昭和五七年協約締結当時のネッスル労組及び訴外組合においては、全組合員数に占める役員数の比率は六ないし七パーセント程度であるのに対し、被告補助参加人におけるその比率は五ないし六割(全組合員数約九〇名のうちの約五〇名)にも上っている。したがって、被告補助参加人の役員について組合休暇を認めるとすれば、その適用を受けるべき労働協約を有しない労働組合を、これを有する労働組合よりもはるかに優遇することになる。このようなことから、被告補助参加人の役員に組合休暇を認めないことには合理的な理由がある。

(2) ②については、被告補助参加人の組合員の各行為について具体的に検討する必要があり、事項以下に述べるとおりであるが、被告補助参加人組合員には、無断欠勤、無断職場離脱があり、これらは新控除基準の項目に該当するから、原告がした控除の取扱いは正当であり、何ら不当労働行為を構成するものではない。

(三) 被告補助参加人の組合員の抗議行動等

原告は、昭和六一年一二月一日及び同月四日の緊急命令決定を受けて、昭和六一年一二月二三日付けで被告補助参加人に団体交渉を申し入れる旨の文書を送り、昭和六二年一月九日及び同月一九日には、被告補助参加人との間で、団体交渉開催に向けての事務折衝が行われ、被告補助参加人が交渉議題の整理をして原告に提出する旨合意した。被告補助参加人は、右合意に反し議題を整理しなかったが、原告は、同年二月二三日、同月二五日以降の五日間を指定していずれかの日程で団体交渉を行うことを提案した。被告補助参加人はこれを無視したが、原告は、同年三月一三日及び同年四月二日付けの文書で、再三団体交渉の申入れをした。これに対し、被告補助参加人は、同年三月一八日付け及び同年四月二二日付けで、原告が、「不誠実な態度によって緊急命令の不履行を行っている。」、「団体交渉に応じない。」とする文書を送付してきたのみであった。その後被告補助参加人が、原告からの同年五月一二日付け団体交渉申入れ文書を受けて、同月二一日に団体交渉を開催するとの合意に至り、同月二一日及び同年六月二三日に団体交渉が行われた。原告は、被告補助参加人から同年七月一日付けで「従来の要求事項は棚上げにし、その上で七月一〇日までに各支部一項目に限って要求書を提出するので団体を行いたい。」旨の文書を送付されたので、これに合意したが、被告補助参加人からは期限までに要求書の提出はなく、その後も何項目もの要求事項を出すなどした。被告補助参加人が、一項目に絞った要求書を提出したのは同年一〇月になってからであり、これに基づいて、原告と被告補助参加人との間で、同年一一月五日及び同年一二月一四日に団体交渉が行われた。

本件における被告補助参加人の組合員の抗議行動等は、こうした時期に行われたものであり、その具体的行動は次の(1)、(2)のとおりであるところ、これらは仮に組合活動に関わるものであったにせよ、いずれも使用者の許諾を得ることなく、原告の構内において、かつ就業時間中に行われたものであるから、無断欠勤・無断職場離脱であって、正当な組合活動とはいえない。また、右のとおり、原告は、緊急命令決定後、被告補助参加人との団体交渉には誠実に対応していたのであるから、緊急命令決定の存在も、被告補助参加人の組合員の抗議行動等を正当化するものではない。

(1) 霞ケ浦工場

昭和六一年一二月一五日(谷貝邦夫(以下「谷貝」という。)、栗村新市(以下「栗村」という。)、秋田静夫(以下「秋田」という。)、西条祐一(以下「西条」という。)、川口政秋(以下「川口」という。)、笠松学(以下「笠松」という。)、荒井和彦(以下「荒井」という。)、富田真一(以下「富田」という。)、徳永一成(以下「徳永」という。)、宮本利夫(以下「宮本(利)」という。))の件

右一〇名は、就業時間中に直属の上長に無断で職場を離脱し、総務課へ押し掛け、さらに会議室に押し入り、約三〇分間原告の指示に反して滞留し、原告の業務を妨害して午後二時まで業務を放棄した。

(2) 島田工場

① 昭和六二年一月三〇日(神戸岳史(以下「神戸」という。)、増田敏晴(以下「増田」という。)、吉野晴男(以下「吉野」という。))の件

右三名を含む被告補助参加人の組合員五名は、就業時間中にもかかわらず、無断で職場を離脱し、原告の指示に反して会議室に滞留し、午後一時から午後一時二二分こうまで業務を放棄した。

② 昭和六二年二月一六日(吉野、長分川保夫(以下「長谷川」という。))の件

右二名及び神戸は、工場長室前に押し掛けて、上司等の制止を振り切り大声をあげ、午後一時から午後一時三分まで業務を放棄した。

③ 昭和六二年二月二〇日(神戸、増田、吉野、大石正雄(以下「大石」という。)、増井正幸(以下「増井」という。)、長谷川)の件

右六名は、午後一時前、工場長室前に押し掛け、「工場長出てこい。」、「団交をしろ。」と大声で怒鳴り、さらに駆けつけた青野雅一(以下「青野」という。)総務課係長の「交渉手続は本社で折衝中で、まだ合意には至っていないので、すぐに職場に戻るように。さもないと、職場放棄になりますよ。」との注意・警告を無視して居座り続け、午後一時二三分ころまで、上司に無断で職場を放棄した。

④ 昭和六二年二月二七日(神戸、増田、吉野、斉藤條治(以下「斉藤(條)」という。)、増井、長谷川、加藤正行(以下「加藤」という。))の件

右七名は、午後〇時五〇分ころ、無断で事務棟会議室に入室し、根岸文彦(以下「根岸」という。)事務課長が「会議室の使用許可は出ていない。すぐ出るように。」と注意・警告したにもかかわらず、口々に、「お前には関係ない。」、「すぐ団交しろ。」と大声で叫び、これに対し、根岸事務課長あるいは傍らにいた一橋信雄(以下「一橋」という。)総務課係長の「交渉手続は本社で話し合われているが、まだ合意に達していない。すぐ職場に戻りなさい。そうでないと職場放棄になりますよ。」と繰り返し注意・警告をしたが、無視して居座り続け、右七名の上長が右会議室にやって来て、それぞれ「職場へすぐ戻り、仕事に就きなさい。」と指示・命令をしたが、なおも無視し続けて、午後一時一五分ころまで上司に無断で業務を放棄した。

⑤ 昭和六二年三月五日(増田、吉野、大石、増井、長谷川、神戸)の件

右六名は、午後一時ころ、事務所に押し掛け、執務中の荻野直(以下「荻野)という。)総務課長の机を取り囲み、口々に、「団交しろ。」。「お前、何のためにいるんだ。」と大声で叫び、荻野総務課長が「緊急命令の手続については、まだ合意に達していない。すぐに職場に戻って、仕事に就きなさい。さもないと、職場放棄になりますよ。」と注意・警告をしたが、これを無視して、午後一時一五分ころまで上司に無断で業務を放棄した。さらに、この間右六名が大声で叫んでいたので、同室の事務課及び総務課の業務が妨害された。

⑥ 昭和六二年三月一三日(神戸、増田、吉野、増井、長谷川、米山邦博(以下「米山」という。)、加藤)の件

右七名は、午後〇時五〇分ころ、工場長がその中で執務中であった工場長室に無断で押し入り、同室に駆けつけた荻野総務課長が「交渉の手続はまだ合意ができていない。すぐに職場に戻り、仕事に就きなさい。職場放棄になりますよ。」と注意・警告をしたにもかかわらず、「団交しろ。」と大声で叫び続け、午後一時一七分ころまで工場長の業務を妨害し、上司に無断で業務を放棄し続けた。

⑦ 昭和六二年四月二三日(神戸、増回、吉野、大石、増井、長谷川、米山、加藤)の件

右八名は、午後一時ころ、事務室に押し掛け、執務中の荻野総務課長の机を取り囲み、口々に、「団交しろ。」と叫び、荻野総務課長が「交渉手続はまだ話し合い中と連絡を受けている。職場へ戻って仕事に就かないと職場放棄になりますよ。」と注意・警告をしたにもかかわらず、これを無視して、午後一時四五分ころまで上司に無断で職場を放棄したのみならず、荻野総務課長、事務課及び総務課の業務を妨害した。

(四) 被告補助参加人のストライキ

ストライキについて、新控除基準の取扱いは、旧控除基準と比較して控除割合が若干減少している。すなわち、旧控除基準では、分母となる年間総労働時間が一九四〇時間であったのに対し、新控除基準では、分母となる半年間の総労働時間は九八四時間であり、年間にすると一九六八時間となる。ストライキによる控除は、基本給を総労働時間で除して算定しているから、分母となる総労働時間が大きくなれば、控除される金額は小さくなる。

そして、原告は、被告補助参加人の組合員についても、訴外組合の組合員と同様、ストライキを通告してきた場合、ストライキとして取り扱って新控除基準を適用している。

本件において、ストライキの通告をしてきたのは中川謙(以下「中川」という。)のみであり、同人は、昭和六二年冬季賞与の勤怠考慮の対象期間である昭和六二年二月ないし七月までに、八六日(いずれも終日)間、ストライキと称して欠勤した。そこで、原告は、中川につき、ストライキを八六日の欠勤として取り扱い、昭和六二年協定中の「各賞与計算期間中の合計欠勤日数が八五日以上に及ぶ場合、賞与は支給しない。この場合、会社は各自の基本給、家族手当、住宅手当の一か月分の範囲内で金一封を支給する。」との規定に従い、中川に対し、賞与に代えて金一封を支給した。

(五) 年次有給休暇の取扱い

年次有給休暇については、原告は、業務上の必要性から、事業の正当な運営を妨げるものについて正当な時季変更権を行使したのであるから、これを無視して出社しなかった被告補助参加人の組合員を無断欠勤と取り扱うのは当然であり、年次有給休暇が組合活動を目的としていたかどうかは関係がない。

具体的には次のとおりである。

(1) 霞ケ浦工場

昭和六二年一月一五日(栗村、秋田、西条、笠松)及び同月一六日(谷貝、平野敏治(以下「平野」という。)、栗村、秋田、西条、小泉宏(以下「小泉」という。)、笠松、岩瀬尚志(以下「岩瀬」という。)ら)の件

被告補助参加人霞ケ浦支部の組合員は、昭和六二年一月一五日及び一六日について年次有給休暇申請を個別的に行ってきた。原告は、霞ケ浦工場では、同月一五日について徳永、富田を含む八名の、同月一六日について徳永、富田、宮本(利)を含む一六名の申請を認めたが、右延べ一四名については、業務多忙のため正当な時季変更権を行使した。にもかかわらず、これらの者がこれを無視して欠勤したため、原告は、無断欠勤として処理した。

実際、これらの者の欠勤により、イブニングシフトにおいて、同月一五日にはミロ充填包装ラインを四時間三〇分にわたり停止せざるを得ず、結局当日の運転が不可能となり、同月一六日も同ラインの五時間一五分の停止を余儀なくされ、また、モーニングシフトにおいても、同月一六日に同ラインの三時間一五分の停止を余儀なくされたほか、品質管理課での業務に支障が生じ、他からの応援や年休予定者の出社、課員の残業を余儀なくされた。

被告補助参加人が、昭和六二年一月一五日及び一六日に被告補助参加人の臨時全国大会を予定していたとしても、原告はこれを知り得ないし、また、大会の参加は正当な時季変更権の行使を無視する無断欠勤を正当化するものではない。

したがって、右延べ一四名について、無断欠勤の事実を賞与の支給に際し、原告が新控除基準に該当する取扱いをしたことは正当である。

(2) 島田工場

昭和六二年一一月一二日(増田)の件

増田は、その上司が、「昭和六二年一一月一二日はコーヒーのフリーズドライ(凍結真空乾燥)装置の停止期間中で、増田の所属する工務課営繕係は、この機会に装置の整備・点検を短期間に行う必要があり、極めて多忙である。」旨説明して、再三にわたって年次有給休暇の時季変更を求めたにもかかわらず、何ら理由を示さず、無許可で欠勤した。そのため、当日業務に重大な支障を来した。

したがって、増田の欠勤を無断欠勤として、賞与支給に際し、原告が新控除基準に該当する取扱いをしたことは正当である。

(六) 被告補助参加人と訴外組合とのトラブル

昭和六二年一二月四日(神戸、増田、増井、長谷川)の件

原告島田工場に勤務する右四名は、昼休み中の訴外組合の組合員とのトラブルに関し、昼休み終了後も工場長室前で抗議を続け、執務中の工場長に午後二時四分まで大声をあげるなどして、上司に無断で業務を放棄した。

右四名は、工場長室にまで押し掛け、職場に戻るよう再三注意・警告したにもかかわらず、就業時間中一時間以上も居座り続け、業務を妨害したもので、到底正当な組合活動とはいえない。しかも、その原因は訴外組合と組合員とのトラブルで、原告の関知し得ないものである。

したがって、右四名について無断職場離脱として、原告が賞与の控除対象としたことは正当である。

(七) その他の無断欠勤・職場離脱

被告補助参加人の組合員は、前記以外にも、次のとおり、組合活動とは何ら関係のない無断欠勤・職場離脱をしている。仮に無断職場離脱のうち、組合活動とするものがあるとしても、就業期間中の組合活動は使用者の了解がなければ職務専念義務に違反し、正当な組合活動とはいえないし、もとより、暴力行為は労働組合の正当な行為に当たらないから、無断職場離脱が正当視される余地はない。原告がこれらについて新控除基準に該当する取扱いをしたことは正当である。

(1) 島田工場

昭和六二年一二月二八日及び二九日(加藤)の件

加藤の所属する充填包装係では、同年一二月初旬、年末の作業予定を作成したが、その際、上司である八木彦衛(以下「八木」という。)主任は、加藤に対し、同月二八日及び二九日の出勤を指示し、加藤もこれを了承した。このため、加藤を含む四名が、年末年始のライン停止時を捉えたバックフィルターのクリーニング作業を行うことになった。ところが、加藤は、同月二一日、「家事手伝い」等を理由に欠勤したい旨申請してきた。八木主任は、欠員が出ると作業に支障を来たすため、加藤に対し再三出勤を指示したが、加藤はこれを無視し、同月二八日及び二九日を無許可で欠勤した。そのため、バックフィルターのクリーニング作業に従事した他の従業員に過重な負担がかかった上、作業も同月二九日中に終了しなかった。

したがって、原告が、加藤の右欠勤を無断欠勤と取り扱ったことは正当である。

(2) 東京営業所

① 昭和六一年八月八日(植野修(以下「植野」という。))の件

植野は、得意先と商談を行ったと虚偽の理由を申し立て、午前九時三〇分まで無断で職務を放棄した。

右は、明らかに無断職場離脱行為であり、原告が植野の賞与算定に際し、新控除基準に該当する取扱いをしたことは正当である。

② 昭和六二年三月六日(植野、岩崎秀和(以下「岩崎」という。)、東海圭吾(以下「東海」という。))の件

原告の東京営業所は、昭和六二年三月当時、新製品の発表及び製品の価格改定等により多忙であったため、右三名の年次有給休暇申請に対し時季変更権を行使したが、それにもかかわらず、右三名は同月六日、無断で欠勤した。

右三名は、原告の正当な時    ③ 昭和六二年九月一〇日(植野)及び一六日(植野、岩崎、東海)の件

植野は、昭和六二年九月九日、上司である生田良勝(以下「生田」という。)所長に対し、同月一〇日午前八時五〇分から午前一一時五〇分までの組合休暇を申請したが、生田所長はこれを許可しなかった。それにもかかわらず、植野は、同月一〇日午前八時五〇分の始業時から正午まで職季変更権の行使を無視して無断欠勤をしたのであるから、これが賞与の算定において斟酌されるのは当然である。

場離脱をした。

また、植野、岩崎及び東海は、同月一四日の終業間際、同月一六日午前八時五〇分から正午までの組合休暇を申請したが、生田所長はこれを許可しなかった。それにもかかわらず、右三名は、同月一六日始業時から午後一時一〇分まで職場を離脱した。

これらを正当化する余地はない上、右の職場離脱は組合休暇と称する届出時間をも超過しており、少なくともその超過時間分について無断職場離脱として、これらの者の賞与算定において新控除基準に該当する取扱いをしたことは正当である。

(3) 神戸本社

① 昭和六一年一〇月三〇日(松浦勝(以下「松浦」という。))の件

松浦は、午前一〇時、自席を離れて隣の包装資材課に向い、同課員の赤井修(以下「赤井」という。)と仕事の話をしていた松本佑次(以下「松本」という。)課長代理に対して、「また、いやがらせをやっとるんか。」、「アホ、ぬかせ。」、「赤井君、こんなアホな課長の言うこときくことないで。」等と一方的に罵声を浴びせ、上司の小澤聡(以下「小澤」という。)課長代理が、席に戻って仕事に就くように繰り返し指示・注意したにもかかわらず、これを聞き入れず、午前一〇時八分まで職場を放棄し、大声で松本課長代理に罵声を浴びせる等、業務の妨害をした。

② 昭和六一年一二月一日(松浦)の件

松浦は、午後三時一五分ころ、勤務時間中であるにもかかわらず、私用電話を続けていたので、上司の小澤課長代理が注意した。それにもかかわらず、松浦がこれを無視したので、近くにいた同僚が、勤務時間中の私用電話を止めるよう注意したところ、いきなりその同僚のあごを右手拳で数回突き上げた。それに対し、右同僚が左手で松浦を指差し、その暴力に対して抗議すると、松浦はその左手首を両手でつかんでねじりあげたため、右同僚が膝をついてしまった。小澤課長代理は、松浦の暴力について厳しく注意し、直ちに自席に戻って仕事に就くように指示したが、松浦は、「こいつが悪いんや。」等と大声を上げる等して、午後三時四五分まで業務を放棄した上、他の人の業務を妨害した。

③ 昭和六一年一二月二日(松浦、坂本一(以下「坂本」という。)、赤井、椿弘人(以下「椿」という。))の件

松浦は、午前中、上司の小澤課長代理の許可を得ることなく、無断で職場を放棄し、午後一時に出社してきたので、小澤課長代理らが松浦に対し午前中の職場放棄について注意・警告をしたところ、松浦は、「お前にとやかく言われることないわ。」等と大声で騒ぎ始め、上司の制止も聞かず、隣の包装資材課の赤井とともに職場を離脱した。その後、右四名は、午後一時一五分ころ、労務部へ押し掛けて黒田信良労務課長(以下「黒田労務課長」という。)に対し、「仕事ができない。」、「つるしあげだ。」、「ちゃんと対応せえ。」などと大声を張り上げ、駆けつけた上司が、席に戻って仕事に就くように繰り返し注意・警告したにもかかわらず、これを無視して、さらに重役室のある七階に押し掛けて騒ぐなどして、午後一時五三分ころまで職場を離脱し、業務を妨害した。

④ 昭和六一年一二月一一日(松浦、椿)の件

椿は、午前九時一二分、上司に無断で職場を離脱し、購買運輸部において松浦とともに職場を放棄し、上司の指示にもかかわらず、午前九時二二分ころまで自席に戻らなかった。

⑤ 昭和六一年一二月一九日及び昭和六二年一月二一日(松浦)の件

松浦は、昭和六一年一二月一九日午前八時三一分から同四五分まで、上司である小澤課長代理、浅川清彦(以下「浅川」という。)部長に対し、不当な暴言を繰り返し、業務を放棄した。

また、松浦は、昭和六二年一月二一日午後一時から同一一分まで、上司に無断で職場を放棄した。

⑥ 昭和六二年四月二一日(松浦、坂本、赤井、椿)の件

右四名は、午前八時四〇分から九時五分まで、労務部に滞留しつつ、ビラ配布に関して大声を張り上げるなどして不当な抗議を続け、同部の業務を妨害し、かつ業務を放棄した。

⑦ 昭和六二年五月一一日(小山尚一(以下「小山」という。)、松浦、坂本、赤井)の件

右四名は、午前八時二五分、労務部に押し掛け、黒田労務課長に対し、罵声を浴びせ、始業時刻(午前八時三〇分)になっても就業しようとしなかったため、黒田労務課長が就労するように注意・指示したにもかかわらず、これに従わず、さらに本社七階に押し掛けた。黒田労務課長及び松浦らの直属上長である小澤課長代理らが就労するように繰り返し注意・指示したが、右四名は、午前一〇時二〇分まで大声を張り上げるなどして居座り、七階各部の業務に支障を来した上、業務を放棄し続け、終日就労しなかった。

⑧ 昭和六二年五月一二日及び一四日(坂本)の件

坂本は、昭和六二年五月一二日、出勤可能であるにもかかわらず、病気欠勤と称して無許可欠勤した。

また、坂本は、同月一四日も勤務せず、午後一時一〇分になって年休振替を求めたが、原告の認める要件に合致しなかったため無許可欠勤となった。

⑨ 昭和六二年一二月四日(松浦)の件

松浦は、時期に遅れて有給休暇申請をし、原告の承認を得ることなく無許可欠勤した。松浦の申請は不適法であるし、原告の認める事後振替の要件にも合致しなかった。

⑩ 昭和六一年一〇月一四日(椿)の件

椿は、昭和六一年一〇月一三日、始業時刻を過ぎてから、風邪のため欠勤する旨、電話で連絡し、終日欠勤した。上長は、電話連絡を受けた際、椿に対し、病気欠勤の場合、始業時刻前に申し出て原告の許可を得るように注意するとともに、医師の診断書を提出することを指示した。しかし、椿は、同月一四日も、始業時刻を過ぎてから体調不良を理由に欠勤する旨電話で連絡し、終日欠勤した上、診断書の提出も拒否した。

⑪ 昭和六二年四月六日及び七日(椿)の伴

椿は、昭和六二年四月六日、始業時刻(午前八時四五分)直前、電話で、直属上長である村上武司(以下「村上」という。)係長に対し、当日の年次有給休暇の申請をしてきた。村上係長が「身体でも悪いのか。」と尋ねたところ、椿は、「旅券の手続で府庁に行かなければならない。」旨答えたため、同係長は、月初めはストックの締めで繁忙であること等を理由に年次有給休暇を他の時季に変更するよう指示し、さらに午前九時五分、再度電話をかけてきた椿に対し、繰り返し出勤を指示したが、椿は、「明日、詳しく報告します。」と述べて電話を切り、無許可欠勤をした。

椿は、翌七日も始業時刻直前、電話で、村上係長に対し、当日の年次有給休暇の申請をしてきたので、同係長が理由を問い質したところ、椿は、「選挙にかり出されているので休みたい。」と述べた。そこで、村上係長は、月初めで仕事が忙しいことを再度説明し、年次有給休暇を他の時季に変更して、同日は出勤するように繰り返し指示したが、椿はこれに従わず、またも無許可欠勤した。

⑫ 昭和六二年六月三〇日(椿)の件

椿は、始業時刻直前、電話で、原告に対し、「今日、年次有給休暇を取得したい。三〇分くらいしたら、その説明に行く。」と述べ、午前九時一〇分ころ出社して、上司である佐伯憲一(以下「佐伯」という。)部長に対し、同日の年次有給休暇申請をした。佐伯部長が理由を質したのに対し、椿が個人的なことであると答えたので、同部長は、決算期に入るため業務が繁忙であることを説明し、年次有給休暇を他の時季に変更するように指示した。しかし、椿は、これに従わず、終日就労せず、無許可欠勤した。なお、椿は、午前九時一五分ころ、購買運輸部運輸課に無断で立入り、勤務中の松浦と業務と関係のない話をしていたので、松浦の上司である小澤課長代理が退去するよう指示したが、同課長代理に反抗し、これに従わなかった。

⑬ 昭和六二年一〇月一日(椿)の件

椿は、昭和六二年九月三〇日に年次有給休暇を取得していたところ、翌一〇月一日、始業時刻を過ぎてから、直属の上長である村上係長に対し、電話で当日の年次有給休暇を取得したい旨述べて終日就労せず、無許可欠勤した。村上係長は、同月二日に出社してきた椿に対し、前日の不就労の理由を質したところ、椿が「プライベートな急用です。」と繰り返すのみで具体的な説明をしようとしなかったので、「そのような理由では、昨日の年次有給休暇は認められない。」と述べると、椿は「はあ、しかたないですね。」と答え、反省の色を見せなかった。

⑭ 昭和六二年一〇月二六日、二七日及び三〇日(椿)の件

椿は、昭和六二年一〇月二六日始業時刻直前、村上係長に対し、「体調が悪く出社できる状態ではない。医者に行って来ます。」と電話で連絡した。それに対し、村上係長は、病院に行った後様子を報告するように指示したところ、椿は、「はい、わかりました。」と答えたが、連絡しなかった。さらに、椿は、翌二七日も直属の上長の許可を得ないで欠勤し、二日にわたり就労しなかった。

そして、村上係長が、同月二八日、出社してきた椿に対し、二六日及び二七日の不就労について質したところ、椿は、同月二六日は医者には行かず、自宅で寝ていたこと、同月二七日の体調は良くなかったが、外出していたことを答えたので、村上係長は、医者に行った後連絡するようにとの指示に従わなかったこと、その翌日は無断欠勤の上、外出したことについて叱責し、「両日の不就労については、認められない。」と注意したが、椿は反省しなかった。

また、椿は、同月三〇日始業時刻直前、村上係長に対し、電話で当日の欠勤を申し出た。村上係長は、月末で業務繁忙であること、椿は一〇月度既に三日欠勤していることを指摘して出勤を指示したが、椿は、終日就労しなかった。

このように、椿は、昭和六二年一〇月二六日、二七日及び三〇日の三回にわたり無断欠勤した。

⑮ 昭和六二年一二月四日、八日ないし一一日、一四日、一五日、一八日、二一日ないし二四日、二八日ないし三〇日(椿)の件

原告においては、社員は、欠勤する場合には、事前に口頭で申出て原告の許可を得る義務があり、また、欠勤が病気による場合には、医師の診断書を速やかに提出する義務がある。原告は、社員に対し、これを口頭及び文書をもって、注意・指導してきた。

ところが、昭和六二年一二月度の椿の不就労日数は二八日(休日を含む。)にのぼり、就労日数はわずか三日のみであり、椿は、この間、事前の申請・報告を怠り、口頭による報告及び連絡をほとんど行わず、診断書も、わずか二通を時期を遅れて提出したのみであり、その内容も「上気道感染症により加療を要す」と記載されているだけで、長期間の欠勤を要するものとは考えられないものであった。

したがって、椿の前記各日の不就労は、職務怠慢以外の何ものでもなく、同人は、これらの日に無断欠勤したものである。

一二月度の椿の不就労日、当日の椿からの連絡の有無等の詳細は、次のとおりである。

四日 不就労 「身体の調子が悪いので、病院に行ってから出社する。」旨連絡してきたが、その後連絡はなく、診断書の提出もなし。

五日 不就労 週休日

六日 不就労 週休日

七日 不就労 「身体の調子が悪いので休ませてほしい。」旨電話で連絡があったが、診断書の提出はなし。

八日 不就労 「病院へ行くので休みたい。」旨家族から電話連絡があったが、椿本人から連絡はなく診断書の提出もなし。

九日 不就労 連絡なく、診断書の提出もなし。

一〇日 不就労 連絡なく、診断書の提出もなし。

一一日 不就労 「診断書を別送する。」旨の電報があったが、連絡はなく、原告は、一二月一一日付け診断書を同月二一日に受領した。

一二日 不就労 週休日

一三日 不就労 週休日

一四日 不就労 連絡がなかったので、村上係長が連絡したところ、「明日は出社する。」旨答えた。

一五日 不就労 「通院後出勤する。」旨の電報があったが、出社せず、連絡もなし。

一六日 不就労 「組合休暇申請、出社時一式書類を提出する旨の電報があったが、原告は書類を同月二一日受領した。

一七日 不就労 「組合休暇申請、一八日に一式書類提出する。」旨の電報があった。

一八日 不就労 「一八日受診、昨日分までの一式書類送付済みとの電報があったが、出社せず、連絡もなし。

村上係長が電話したが、応答なし。

一九日 不就労 週休日

二〇日 不就労 週休日

二一日 不就労 「数日間休業、一八日以降の書類別送、診断書同封」との電報があったが、書類、診断書の提出はなかった。

二二日 不就労 連絡がなかったので、村上係長が訪問したところ、椿は、「医者にかかってもどこが悪いと証明できないと思う。」と弁明した。村上係長は、二三日には出社すること、何かあれば口頭で連絡することを指示した。

二三日 不就労 連絡なし。

二四日 不就労 連絡なし。

二五日 不就労 会社休日

二六日 不就労 週休日

二七日 不就労 週休日

二八日 不就労「病院に行った後出社するつもりである。」旨電話で連絡があった後、再び電話で「出社しない。」旨の連絡があった。

二九日 不就労 「病院へ行った後連絡する。」旨の連絡があったが、その後連絡はなかったため、村上係長が電話したところ、椿は、「明日出社するつもりである。」と答えた。

三〇日 不就労 連絡がなかったので、村上係長が午前九時二〇分電話で連絡したところ、椿は、「寝込んでしまっていた。」旨答えた。原告は、一二月二八日付診断書を受領した。

椿の所属するインダストリアル・アカウンティング部では、一二月は決算期を控え、多忙な時期であるにもかかわらず、同人が前記のような不就労を繰り返したため、業務に多大な支障を来した。

2  救済方法について

(一) 昭和六二年協定では、その前年の原告の業績、成果等を勘案して、前年実績に〇・二か月分を上乗せして、賞与の年間支給月数を六・二か月とし、条件面を引き上げる代わりに勤怠の向上を図るべく、欠勤した場合の取扱いをより厳格にすることで訴外組合と合意した。このように支給月数の増加と新控除基準は、不可分一体のものである。

被告が、この不可分一体の支給月数の増加と新控除基準とを切り離し、支給月数については昭和六二年協定を、控除基準については旧控除基準を、それぞれ適用して支給方法を認めるのは、組合間格差を生じさせないための原状回復の限度を超えるものであり、裁量権の逸脱は明らかである。

(二) また、「賞与は、定期または臨時に、原則として労働者の勤務成績に応じて支給されるものであって、その支給額が予め確定されていないものをいう。」(昭和二二年九月一三日発基一七号)との行政解釈にもあるように、賞与の支給内容決定の基盤には、前年の企業業績、成果が色濃く反映するものであって、賞与の決定は、継続する行為ではなく、毎回完結する行為であるから、過去の基準がその後の賞与支給について何ら拘束力を生ずるものではない。それにもかかわらず、被告が既に効力を失った昭和五七年協約に基づく旧控除基準を適用したのは失当である。

二  被告の主張

1  不当労働行為の成否について

(一) 本件命令の理由の要旨

原告は、被告補助参加人の存在をかたくなに否認し、被告補助参加人とは一切協議を行わないまま、訴外組合と協定した、旧控除基準に比して厳しい内容である新控除基準を一方的に被告補助参加人に適用して、被告補助参加人のストライキによる欠勤ないし不就労を無断欠勤ないし無断職場離脱として取り扱い、本来ストライキとして控除される額より著しく高い控除を行い、また、原告は被告補助参加人の存在を認めないため、訴外組合の役員には認められている組合休暇を被告補助参加人の役員には認めず、休暇一日につき三日の無断欠勤とみなして、訴外組合の役員に比して著しく高い額の控除を行うなど、被告補助参加人の組合員を訴外組合の組合員と差別して取り扱っていることになり、このような取扱いは、労働組合法七条一号及び三号に該当する不当労働行為といわざるを得ない。

(二) 被告の主張

本件命令において被告が認定した事実及び判断に誤りはない。

なお、被告は、原告が一方的に被告補助参加人の組合員に対して新控除基準を適用したこと、それを通じて同組合員を事実上不利益に取り扱ったことを不当労働行為(労働組合法七条一号、三号)に該当すると判断したもので、新控除基準の被告補助参加人組合員への具体的適用を問題とする原告の主張は、本件命令を正解しないものである。

2  救済方法について

(一) 本件命令の理由の要旨

原告は、被告補助参加人を否認し、一方的に新控除基準を適用したことが不当労働行為に当たるのであるから、新控除基準を用いて救済を図ることは適当でなく、この場合被告補助参加人の組合員に適用すべき基準については、それまでの控除基準である旧控除基準に準じて取り扱うことが相当であり、支給月数については、既に原告が訴外組合の組合員と同様、被告補助参加人の組合員に対しても年間六・二か月分の賞与を支給し、被告補助参加人の組合員も、仮受金としてではあるが、これを受け取っており、労働組合の所属によって異なる取扱いを認める合理的な理由はないから、六・二か月として算定すべきである。

そして、本来、原告は、本件各賞与基準について、被告補助参加人との合意に基づいてその基準を確定させ適用すべきところ、被告補助参加人の存在を長期間にわたり否認し続け、被告補助参加人と団体交渉を一切行おうとしなかったという事情をも考慮すれば、このような救済方法も原状回復を超えるものであるということはできない。

(二) 被告の主張

本件命令において被告が認定した事実及び判断に誤りはない。

被告は、右(一)の事情を総合的に考慮・勘案して、本件に最も適切な是正措置と判断した救済方法を命じたもので、被告がとった右(一)の救済方法は、労働委員会に委ねられた裁量権の行使として正当なものである。

三  被告補助参加人の主張

1  不当労働行為の成否について

本件紛争は、原告が被告補助参加人の存在を否認し続け、被告補助参加人との団体交渉を拒否してはならない等を命じた東京地方裁判所の緊急命令決定が出たにもかかわらず、原告がこれに従わなかったことから、緊急命令決定の履行を求めて原告との団体交渉を要求する被告補助参加人と原告との間の緊張状態が高まった時点で発生した。

すなわち、本件においては、原告が被告補助参加人の存在を否認し続け、訴外組合との間で締結した昭和六二年協定の新控除基準を被告補助参加人の組合員に一方的に適用したこと自体が不当労働行為なのであって、新控除基準の具体的な適用の仕方に関しては、新控除基準を一方的に被告補助参加人の組合員に適用した結果として賞与が減額されたため、救済の必要性が生じているという限度で、不当労働行為の成否に間接的に関連しているにすぎない。

このように、原告が被告補助参加人の組合員に対し、新控除基準を適用したことがまさに不当労働行為なのであって、同組合員に対する新控除基準の適用が許されない以上、原告主張のように、その具体的な適用の仕方を問題にすることは無意味である。

2  救済方法について

原告が、被告補助参加人の組合員に対し、一方的に新控除基準を適用し、同組合員を不利益に取り扱ったことが不当労働行為に当たる以上、被告は、本来、昭和六二年協定を被告補助参加人に適用したことについて、排除する命令を出すべきである。

しかし、被告補助参加人は、賞与の年間支給月数六・二か月については容認しており、新控除基準についてのみ部分的排除の救済申立てをしていること、全面排除の命令は、原告の被告補助参加人敵視の態度からすると、被告補助参加人が賞与の支給を全く受けられないという新たな不利益取扱いをもたらす結果となること、しかもこの新たな不利益取扱いについては、原告がかたくなに被告補助参加人を否認し続けている以上、被告補助参加人と団体交渉をもって自主的に解決していく見込みは全くないことからすれば、被告としては、新控除基準の適用についてのみ排除命令を出せば、不当労働行為が中止され、原状が回復されることになるのであり、被告のとった救済方法は正当である。

第四当裁判所の判断

一  不当労働行為の成否について

1  第二の一3の事実及び《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる(争いのない事実を含む。なお、主要な書証は便宜掲記した)。

(一) 本件各賞与協定について

(1) 昭和六二年協定締結の経緯

原告においては、完全年功給(年齢、勤続、学歴及び性別)からの脱却をめざし、昭和六一年二月一日付けで人事考課制度を導入し、同年四月一日付けで職能給制度に移行した。原告としては、賞与についても従前のような一律の支給基準を踏襲するのは望ましいことではないと考えていたが、昭和六一年時点では、従業員の不安感を和らげる趣旨から賞与は従前のままの基準で支給した。

原告は、昭和六二年春季賃金交渉において、訴外組合から賞与に関し、支給月数年間七か月(夏季、冬季各三・五か月)の要求が出た(昭和六二年三月三一日付け「要求書」)のを受けて、支給月数を従来の六・〇か月から増加させることを前提にして支給基準の見直しを行うことにした。その際の基本的な方針は、勤怠の取扱いを厳格にすることで公正な処遇を行い、社員のモチベーションに繋がる内容とするというものであった。そして、具体的な支給基準の策定については、同業他社の取扱いを参考にして作業を進めた。

原告が参考とした五社のうち、四社は、無断欠勤について、無断欠勤一日を欠勤一日分を超えた減額としており(最高の会社で無断欠勤一日で五日分の減額、最低の会社で一日につき一三三分の一+本給の一パーセント分の減額の取扱い。なお、残る一社は不明である。)、私傷病欠勤の場合よりも厳しく取り扱っている。また、遅刻については、一回で一日分の減額をしているのが一社、遅刻・早退時間に応じて減額するのが一社、他は五回で一日分、二回で一日分の減額、そして、控除しない会社が一社となっていた。なお、病欠などにより賞与の支給額がゼロとなる場合については、役職に応じた定額、あるいは賞与の一定割合を見舞金として支給するところや基準内賃金の五〇パーセントを支給するところなどさまざまであった。

原告は、昭和六二年四月二日、訴外組合から要求趣旨を聞いた後、同月一〇日の第二回目の団体交渉で、訴外組合に対し、賞与を年間平均六・二か月分とし、支給基準は新控除基準を適用することなどを内容とする「回答及び申入書」を手交するとともに、それを読み上げて趣旨説明し、訴外組合の要求に対応した。その際、訴外組合からは、賞与の支給基準に関し、無断欠勤及び無断職場離脱の取扱いが厳しくなったことについて、原告に質問が集中し、同月一四日の第三回団体交渉において、訴外組合は、従来よりも厳しい取扱いとなる私傷病欠勤、無断欠勤及び無断職場離脱について従来どおり(昭和五七年協約)とするよう原告に対し要求し、原告はこれに対し、原告の見解を述べて訴外組合の理解と納得を求めた。その後、同月一五日の第四回団体交渉においても、原告と訴外組合との間で同様のやりとりが行われたが、訴外組合本部執行委員会は、原告に対し、不満は残るものの、回答を受け入れ、今後職場討議及び一般投票の手続を行う旨表明した。

訴外組合は、その後職場討議及び一般投票を行い、承認率七七・四パーセントをもって集約し、同月二七日、原告との間で昭和六二年協定の締結に至った。

なお、被告補助参加人からは、原告に対し、昭和六二年三月二三日付けで春闘要求書が提出され、団体交渉の申入れがされていたが、原告は、これには何ら対応しなかった。

(2) 昭和六二年協定の内容

昭和六二年協定の内容は、第二の一3(二)(1)のとおりである。

(3) 昭和六三年の賞与協定について

原告は、昭和六三年度の賞与に関しても、訴外組合と団体交渉の上、昭和六二年協定と同一内容の協定を締結した。

(二) 昭和六二年協定締結前後の労使事情等について

(1) 緊急命令決定の発出

東京地方裁判所は、昭和六一年一二月一日及び同月四日、①原告は、被告補助参加人の当該支部に対応する工場に関する事項について被告補助参加人からの団体交渉の申入れがあったときは、「原告又はその工場には訴外組合又はその支部一つしか存在せず、被告補助参加人又はその支部は存在しない。」という理由で、これを拒否してはならない、②原告は、被告補助参加人支部に所属する組合員の給与からチェックオフした組合費相当額を当該支部に支払え等を内容とする決定(緊急命令決定)を行った。

(2) 被告補助参加人による団体交渉申入れをめぐる対応等

被告補助参加人は、緊急命令決定を受けて、昭和六一年一二月四日付けで原告に団体交渉を申し入れる旨の文書を送付し、原告も同月二三日付けで被告補助参加人に団体交渉を申し入れる旨の文書を送付した。昭和六二年一月九日及び同月一九日には、原告と被告補助参加人との間で、団体交渉開催に向けての事務折衝が行われ、被告補助参加人が交渉議題の整理をして原告に提出する旨合意した。被告補助参加人は、同年二月六日付けで議題を整理したとして提出したが、議題の整理が不十分であるか否かについて原告と被告補助参加人との意見が合わず、原告は、同年二月二三日、同月二五日以降の五日間を指定していずれかの日程で事務折衝を行うことを提案した。被告補助参加人はこれに応じなかったが、原告は、同年三月一三日付け、同年四月二日付け及び同年五月一二日付けの各文書で、事務折衝の申入れをした。これに対し、被告補助参加人は、同年三月一八日付け及び同年四月二二日付けで原告に対し、原告が、「不誠実な態度によって緊急命令の不履行を行っている。」、「団体交渉に応じない。」とする文書を送付した。その後原告と被告補助参加人は、同年五月一九日、同月二一日に団体交渉を開催するとの合意に至り、同月二一日及び同年六月二三日に団体交渉が行われた。

この間、被告補助参加人の霞ケ浦、島田、東京の各支部も対応する原告の工場長らに対し、団体交渉に応じるよう求めていたが、後記(5)のとおり、当該工場の労務担当の管理職らは、現在本社で検討中であるとの理由で、直ちに団体交渉を開こうとはしなかった。

被告補助参加人は、同年七月一日付けで原告に対し、「従来の要求事項は棚上げにする。各支部一項目に限って要求書を提出するので七月一〇日までに団体交渉を開催するよう申し入れる。」旨の文書を送付し、同月六日原告もこれに合意したが、被告補助参加人からは期限までに要求書の提出はなく、その後も各支部の要求事項が数項目にわたるなどした。被告補助参加人が、同年一〇月一五日付け文書で各支部の議題を一項目に絞ったため、原告と被告補助参加人及び右各支部との間で、同年一一月五日及び同年一二月一四日に団体交渉が行われた。

しかし、原告は、昭和六二年一二月一四日に行われた双方の主張が平行線をたどったままの団体交渉を最後に、緊急命令決定に基づく交渉は終了したとし、以後被告補助参加人及びその各支部からの団体交渉の申入れに対しては、従前同様、申入書面を被告補助参加人の組合員に返戻するようになり、この中には昭和六三年三月三一日付けの春闘団体交渉の申入書も含まれていた。

このような原告の対応に対し、神戸地方裁判所は、昭和六二年一二月一四日以降の原告の団体交渉拒否は、緊急命令決定に違反するとして平成二年三月一九日、原告を過料に処す決定をしている。

なお、これらの時期においては、原告と訴外組合とは、格別の対立関係にはなかった。

(三) 被告補助参加人組合員らの行動とこれに対する原告の対応

(1) 組合休暇の取扱い(争いがない。)

原告は、訴外組合の役員には認めている組合休暇を被告補助参加人の役員には認めていないため、別紙のとおり被告補助参加人の役員が組合休暇として届け出て欠勤した場合を無断欠勤と取り扱い、賞与の控除対象とした。

(2) 抗議行動

(霞ケ浦工場)

昭和六一年一二月一五日

緊急命令決定を受けて、被告補助参加人霞ケ浦支部は、昭和六一年一二月五日付け文書で、原告霞ケ浦工場長に対し、同月一五日の団体交渉の申入れを行い、さらに同月八日、同月一一日に団体交渉のための事務折衝を行うよう申し入れたが、事前折衝は開催されなかった。昭和六二年一二月一五日、富田が、駒田捷彦(以下「駒田」という。)総務課長に電話で団体交渉は開催できるのか確認したところ、駒田総務課長は「本社で検討中であるから。」と回答したが、被告補助参加人霞ケ浦支部の役員であった谷貝、栗村、秋田、西条、川口、笠松、荒井、富田、徳永及び宮本(利)の一〇名は、それぞれ午後一時過ぎころ職場を離れ、午後一時二五分ころ総務課に赴き、さらに事務所会議室に入り、駒田総務課長らに団体交渉の開催を求めたが、駒田総務課長らは、右一〇名に対し、「職場に戻れ。無断に職場を離脱した。」と述べ、このようなやりとりが約三〇分、午後二時ころまで続いた。

原告は、昭和六二年一月七日付けで、右一〇名に対し、右行為について業務を妨害し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

(島田工場)

① 昭和六二年一月三〇日

被告補助参加人島田支部は、緊急命令決定を受けて、昭和六二年一月二二日付け文書で、原告島田工場長に対し、同月三〇日の団体交渉の申入れを行い、同月二九日、同支部の吉野執行委員長及び神戸は、荻野総務課長に団体交渉は開催されるのかどうか確認したところ、荻野総務課長は「本社で折衝中であるから、同月三〇日の団体交渉は開催できない。」と回答した。吉野は、同月三〇日、午後〇時五〇分ころ、食堂(キャンティーン)にいた荻野総務課長のテーブルに「緊急命令決定に対する団体交渉は、本社折衝を踏まえ、同月二三日に団体交渉を申し入れているが、原告からこれを拒否する通告がないので、次のメンバー(吉野、神戸、大石、増田、米山)で本日一時からの団体交渉に対応する。」旨を記載したメモを置いていこうとした。これに対し、荻野総務課長は、「今日は団交はできない。昨日伝えてあるではないか。」と述べたが、吉野はそのまま立ち去った。

荻野総務課長が、同月三〇日午後〇時五五分ころ、会議室を通りかかると、右五名が団体交渉申入れ時の交渉指定場所である会議室におり、口々に団体交渉に応じるよう求めた。荻野総務課長は、右五名に職場に戻るよう指示し、職場に戻らないと無断職場離脱になる旨述べたが、右五名は午後一時二二分ころまで、その場で団体交渉に応じるよう大声で繰り返した。

原告は、昭和六二年二月四日付けで、吉野、増田、神戸に対し、右行為につき業務を妨害し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

② 昭和六二年二月一六日

団体交渉は、昭和六二年一月三〇日には開催されず、その後被告補助参加人島田支部は、原告島田工場長に対し、同年二月一〇日付け文書で同月一二日の団体交渉を申し入れたが、それも開催されなかったので、同月一五日付け文書で同月一六日の団体交渉の申入れを行った。そして、吉野、神戸及び長谷川は、同月一六日午後〇時五〇分ころ、工場長室前に赴き、大声で口々に「団交しろ。」と怒鳴った。これを聞きつけた一橋総務課係長ら二名が、団交については本社で折衝中であることを説明し、職場へ戻るよう指示したが、右三名は午後一時三分ころまでその場で団交を求める抗議行動を行った。

原告は、同年三月三日付けで、吉野及び長谷川に対し、右行為につき業務を妨害し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

③ 昭和六二年二月二〇日

被告補助参加人島田支部は、昭和六二年二月一八日付け文書で、原告島田工場長に対し同月二〇日の団体交渉の申入れを行い、神戸、増田、吉野、大石、増井及び長谷川の六名は、同月二〇日午後一時前工場長室前に赴き、一向に団体交渉に応じようとしない原告に対し抗議するとともに団体交渉を開催するよう求めた。これに対し、青野総務課長は、団体交渉については本社で折衝中である旨説明し、職場に戻らなければ職場放棄になる旨の注意・警告を行ったが、右六名は、午後一時二三分ころまで職場に戻らなかった。

原告は、昭和六二年三月三日付けで、右六名に対し、右行為につき業務を妨害し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、責任を追及する権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

④ 昭和六二年二月二七日

被告補助参加人島田支部は、昭和六二年二月二四日付けの文書で同月二七日の団体交渉の申入れを行い、さらに同月二五日付け文書で、同月四日付けの吉野、神戸及び増田に対する「警告並びに通告書」の撤回及び重ねて同月二七日の団体交渉の開催を求め、同月二七日、神戸、増田、吉野、斉藤(條)、増井、長谷川、加藤の七名は、午後〇時五〇分ころ、団体交渉を行うため、事務棟会議室に入室した。そこへ、根岸事務課長、一橋総務課係長らが、団体交渉については本社で折衝中である旨説明し、職場に戻らないと職場放棄になる旨注意・警告し、また、右七名の上長である原田実(以下「原田」という。)工務課長、黒田正勝工務課長代理(以下「黒田工務課長代理」という。)、岸本忠良品質保証課係長、井上智司工務課係長らが、事務室に来て右七名に対し、職場に戻り仕事に就くよう指示し、午後一時一五分ころ右六名を会議室から押し出した。

原告は、同年三月三日付けで、右七名に対し、右行為につき業務を妨害し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、責任を追及する権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑤ 昭和六二年三月五日

被告補助参加人島田支部は、昭和六二年二月二八日付け文書で、同月二七日に原田工務課長が吉野を会議室から押し出す際、暴力行為に及び吉野に傷害を負わせたとして抗議するとともに、同年三月五日の団体交渉の申入れを行い、増田、吉野、大石、増井、長谷川及び神戸の六名は、同月五日午後一時ころ、事務室に赴き荻野総務課長に対し団体交渉を開催するよう求めた。これに対し、荻野総務課長は、団体交渉については本社でまだ折衝中であるとの連絡を受けている旨説明し、職場に戻らないと職場放棄になる旨注意・警告したが、右六名は、午後一時一五分ころまで団体交渉を開催するよう求めた。

原告は、同月一三日付けで、右六名に対し、右行為につき業務を放棄し、業務を妨害したことは遺憾であるとし、責任を追及する権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑥ 昭和六二年三月一三日

被告補助参加人島田支部は、昭和六二年三月一〇日付け文書で、原告島田工場長に対し、同月一三日の団体交渉の申入れを行い、神戸、増田、吉野、増井、長谷川、米山及び加藤の七名は、同月一三日午後〇時五〇分ころ、工場長室前へ赴いたところ、荻野総務課長がその場に騒けつけ、団体交渉の手続はまだ合意に至っていない旨説明するとともに、職場に戻らないと職場放棄になる旨注意・警告したが、午後一時一七分ころまで団体交渉を開催するよう要求した。

原告は、同月二六日付けで、右七名に対し、右行為につき業務を妨害し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、責任を追及する権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑦ 昭和六二年四月二三日

被告補助参加人島田支部は、昭和六二年四月一七日付け文書で、原告島田工場長に対し、原告が、被告補助参加人島田支部の組合員に対し、繰り返し「警告並びに通告書」を発していること、緊急命令決定が出たにもかかわらず団体交渉に応じようとしないことに抗議するとともに、同月二三日の団体交渉の申入れを行った。そして、神戸、増田、吉野、大石、増井、長谷川、米山及び加藤の八名は、同月二三日午後一時ころ、団体交渉に対応するため、事務室に赴き、荻野総務課長に対し、団体交渉を開催するよう要求した。これに対し、荻野総務課長は、団体交渉の手続はまだ話し合い中であるとの連絡を受けている旨説明し、職場に戻って仕事に就かないと職場放棄になる旨注意・警告したが、右八名は午後一時四五分ころまで団体交渉を開催するよう求めた。

原告は、同年五月八日付けで、右八名に対し、右行為につき業務を妨害し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、責任を追及する権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑧ 原告は、被告補助参加人組合員らによる右①ないし⑦の就業期間中の申入れないし抗議行動は無断職場離脱であるとして、賞与の控除対象とした。

(3) ストライキ

原告の東京支店に勤務していた被告補助参加人の組合員である中川は、昭和六二年二月一七日から二〇日、同月二三日から二七日、同年三月二日から六日、同月九日から一三日、同月一六日から二〇日、同月二三日から二七日、同月三〇日から同年四月三日、同月六日から一〇日、同月一三日から一七日、同月二〇日から二四日、同月二七日、二八日、三〇日、同年五月六日から八日、同月一一日から一五日、同月一八日から二二日、同月二七日から二九日、同年六月一日から五日、同月八日から一二日、同月一五日から一九日、同月二二日から二六日の合計八六日間にわたり、原告に対しストライキとの通告をした上欠勤した。

旧控除基準では、「会社と組合との間の紛争により組合員が労働を提供しない結果となった場合、会社は労働が提供されなかった時間に対して賞与は支払わない」との定めはあるものの、欠勤が一定日数を超える場合には賞与を支給しない旨の定めはないが、新控除基準では、欠勤が八五日以上の場合、賞与を支給されず、基本手当及び家族手当等の一か月以内の範囲で金一封が支給されることになっており、原告は、中川に対し、新控除基準を適用し、昭和六二年冬季賞与を支給せず、金一封を支給するにとどまった。

しかし、原告は、中川のようにストライキと通告してきた者についてはストライキの扱いをしていたが、被告補助参加人の組合員で中川以外には、原告に対しストライキを通告して欠勤した者はいなかった。

(4) 年次有給休暇

年次有給休暇について、昭和五七年協約では、労働基準法三九条と同様、「従業員が請求した時に与えられる。但し、事業の正常な運営を妨げる場合には他の時季にこれを与えることができる。」(四八条)とされ、さらに年次有給休暇の申請は、「所定の用紙でできるだけ早く事前に行うこととされ(四九条)、振替えについては、業務外の疾病または負傷あるいは正当な個人的理由による欠勤を年次有給休暇に振替えを求める場合は、欠勤の際に会社に連絡の上出社後速やかに書面により届出なければならない。この場合は会社は振替えを承認するものとする。」とされ(五一条)、昭和五七年協約は、被告補助参加人と訴外組合が併存するようになった後、原告と訴外組合との間で有効期間が延長され、昭和六一年、六二年当時もその有効期間内であり、原告は、年次有給休暇に関し、右労働協約に従った運用をしていた。

(霞ケ浦工場 昭和六二年一月一五日及び一六日)

① 被告補助参加人は、緊急命令決定の後、一気に原告との争議を全面解決することをめざし、その意思統一を図るべく、昭和六二年一月一五日から一八日まで臨時全国大会を開催することを決定し、その旨記載した同年一月八日付けで教宣紙「あゆみ」を発行した。

被告補助参加人霞ケ浦支部では、右「あゆみ」を職場において配布するのみならず、全組合員による臨時全国大会の開催を知らせる内容の同月一二日付け教宣紙「つくば」を発行して配布し、約三〇名の組合員全員が臨時全国大会に参加する方針を採り、同組合員は、昭和六二年一月八日、九日、一二日などに年次有給休暇取得の申請をした。

② ところで、当時原告霞ケ浦工場は、工場長の下、総務課、品質管理課、製造課及び工務課に分かれ、そのうち、製造課は、生産事務所、倉庫のほか、充填/包装、ブライト/ニド生産、ミロ生産及びシリアル生産の各ラインから成っており、こうしたラインにはモーニングシフト(六時四五分から一五時三〇分の勤務)とイブニングシフト(一五時一五分から二四時の勤務)の二交代制で従業員が就業していた。

そして、原告霞ケ浦工場で年次有給休暇を取得する際、翌週のシフトメンバーを決定する都合上、原則として希望日の前週の木曜日までに、遅くとも翌週のシフトメンバーを掲示する金曜日の午後三時三〇分までに申請することになっている。その方法は、口頭で係長に申請して、係長が業務の状況や他の者の年次有給休暇取得状況などを勘案し、自己の意見を添えて課長に報告し、課長が最終的に決裁し、年次有給休暇を認めるときは、係長を通じて当該申請者に申請用紙を交付することになっていたが、係長が口頭申請を受けた時点で、申請用紙を交付することもままあった。申請者が交付された申請用紙に必要事項を記入して提出すると、係長、課長が署名した上、工場総務課に送られることになっていた。

③ 被告補助参加人霞ケ浦支部の組合員も、右に従い口頭で年次有給休暇取得の申請を行ったところ、同月一五日について岡沢、徳永、富田を含む六名の、同月一六日について岡沢、徳永、富田、宮本(利)を含む一一名の年次有給休暇の取得が認められたが、栗村、秋田、西条及び笠松計四名の同月一五日分、谷貝、平野、栗村、秋田、西条、小泉、笠松及び岩瀬ほか二名計一〇名の同月一六日分については、申請用紙の交付を受けることもできなかった。そこで、右の被告補助参加人霞ケ浦支部の組合員らは同月一四日付けの「抗議並びに通告書」と題する文書で、右文書をもって年次有給休暇申請とし、有給休暇を取得する旨通告し、実際に欠勤した。

原告霞ケ浦工場は、右組合員が年次有給休暇の取得を申請する前である同月六日付けで松井和男、宮本浩、同月七日付けで高島裕之、同月八日付けで三浦俊弘、君成田国広らが、同月一五日あるいは一六日の年次有給休暇の申請をしていたため、各生産ラインのシフトメンバーを確保するために必要であるなどとして、他の時季に変更するよう指示し、右組合員らの年次有給休暇を認めなかった。そして、実際に、右組合員らの欠勤により、同工場製造課においては、昭和六二年一月一五日はイブニングシフトにおいてミロ充填包装ラインを四時間三〇分、同月一六日は同ラインをモーニングシフト三時間一五分、イブニングシフト五時間一五分にわたり停止した。また、品質管理課においても、他職員の応援を求めるなどして業務を処理しなければならなかった。

なお、当初昭和六二年一月九日金曜日に掲示されたスケジュール表によれば、同月一五日(木曜日)及び一六日(金曜日)はミロ充填包装ラインは運転を予定されていなかったのが、同ラインは、同月一二日から始まる週の前半に運転を停止し、その後スケジュールが変更されていた。

④ 原告は、これら年次有給休暇を認めなかった被告補助参加人組合員(一月一五日は四名、同月一六日は一〇名)につき、無断欠勤として取り扱い、賞与の控除対象とした。

(島田工場 昭和六二年一一月一二日)

① 原告島田工場では、年次有給休暇の申請は原則としてその三日前に行うよう指導されていたが、同工場に勤務する被告補助参加人の組合員である増田は、昭和六二年一一月一一日午後五時一〇分ころ、翌一二日の年次有給休暇取得の申請をした。

② 当時、原告の島田工場は、製造課、工務課、品質保証課、事務課及び総務課に分かれ、そのうち工務課には、保全、工務企画、動力の各部署があり、保全には、営繕、電気、計装、保全(交代制勤務)及び資材管理の各係があり、増田の所属する営繕係には石橋係長を含めて一五名の従業員が所属していた。

昭和六二年一一月一日から同年一二月五日までは、主要製造ラインである凍結真空乾燥(フリーズ・ドライ)装置の停止期間中であり、その期間内に同機械の整備・修理作業が予定されており、黒田工務課長代理及び石橋係長は、同年一一月一二日には増田にバキューム・チャンバー・ディストリビューター(真空乾燥装置の分配器)点検窓の改良工事作業を担当させる予定でいた。

③ 増田は、昭和六二年一一月一一日午後五時一〇分ころ、翌一二日に年次有給休暇を取得したい旨申し出て、石橋係長及び黒田工務課長代理が、「多忙のため年次有給休暇は認めない。時季を変更するように。」と述べたにもかかわらず、石橋係長の机の上に年次有給休暇申請書を置いて退社したので、石橋係長が増田の自宅に電話をかけて、電話に出た増田の妻に対し、同月一二日に出勤するよう伝言を依頼したが、増田は同月一二日欠勤した。そのため、同日他の従業員二名が残業したが、予定していた作業は後日にずれ込んだ。

原告は、昭和六二年一一月三〇日付けで、増田に対し、同月一二日に終日業務を放棄したことに猛省を促し、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

④ 増田は、同月一二日について年次有給休暇の申請が認められず、原告から無断欠勤と処理され、賞与の控除を受けたことから、島田労働基準監督署に相談に行ったところ、島田労働基準監督署は、原告に対し、「一、時季変更権の乱用をやめ、労働時間短縮の見地から、年休取得の促進をはかること。二、夏のボーナスからカットした賃金を支払うこと。」を内容とする文書指導を行ったが、原告は控除した賃金の支払をしなかった。

なお、増田は、昭和六一年は二〇日中一八日、昭和六二年は二〇日中二〇日と、付与された年次有給休暇をほぼ取得している。

(5) 訴外組合とのトラブル

被告補助参加人の島田支部は、昭和六二年一二月四日朝、原告島田工場の門前においてビラの配布を行ったところ、同日昼休みに同支部副執行委員長であった長谷川、神戸、増田及び増井が食堂(キャンティーン)で食事中、訴外組合の組合員ら多数に取り囲まれ、口々に、「ビラをまくな。ビラをまけば売上が下がる」等と言われた。右四名は、このようなことでは十分な休憩が取れないと考え、原告に適切な対処を求めるため、午後〇時五〇分ころ、工場長室に向かい、工場長に会わせるよう求めたが、居合わせた根岸事務課長代理が、組合内の問題で原告には関係ない旨述べ、職場に戻るよう命じた。しかし、右四名はそこに留まり午後二時四分まで業務に就かなかった。

原告は、右四名に対し、昭和六二年一二月二九日付けで、業務を放棄したことについて猛省を促し、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発し、また、無断職場離脱として賞与の控除対象とした。

原告島田工場では、このような被告補助参加人の組合員と訴外組合の組合員との間のトラブルが昭和六一年一〇月ころから頻繁に生じていたため、被告補助参加人及びその島田支部は、昭和六二年一二月九日付け文書をもって、このような状態を改善するよう原告に求めたが、原告は、一貫して組合内の問題であるとして、自ら解決するよう述べるのみであった。

また、このようなトラブルは神戸本社でも生じることがあったが、原告は、同様に組合内の問題であるとの態度に終始し、何ら措置を講じなかった。

(6) その他の無断欠勤・職場離脱

(島田工場)

昭和六二年一二月二八日及び二九日

加藤の所属する原告の島田工場製造課充填・包装係の業務は、熱風乾燥係あるいは凍結乾燥係が生産したインスタント・コーヒー・パウダーを瓶詰め、袋詰めし、ラベルを貼り付け、箱詰めして出荷できる状態にすることで、瓶詰め用四ライン、袋詰め用一ラインの合計五ラインあり、勤務体系は早出(六時三〇分から一五時三〇分)、遅出(一五時から二四時)の二交代制であり、係員は、当時課長代理以上を除き七六名であった。充填・包装係は、例年一二月は二四、五日ころにラインを停止させ、その後は年末の原告の休日に入るまでの間にラインのクリーニングを行うことになっている。昭和六二年の場合、一二月二四日に年内の業務を終了し、原告の休日後の同月二八日、二九日にフィルターの交換業務を含むラインのクリーニングを行うことが予定されていた。そのため、年末年始の休暇については、早めに申請するようにと指導されていた。

加藤は、昭和六二年一二月二一日、既に年次有給休暇はすべて取得していたが、家の手伝いがあるとして、同月二八日及び二九日の欠勤を申請した。それに対し、充填・包装担当課長代理の中村節男(以下「中村」という。)から欠勤の申請書にその理由を記載するよう指示されたので、「家事都合」と記載し、中村課長代理に提出した。加藤は、同月二四日にタイムカードを確認したところ、同月二八日及び二九日は「欠勤」と記載されていたので、欠勤は承認されたものと考え、同月二八日及び二九日は欠勤した。

島田工場では、年次有給休暇や欠勤が承認された場合、総務課員がタイムカードに事前に「年休」、「欠勤」等と記載しており、無断欠勤の場合は欠勤後に「無断欠勤」と赤字で記載されていた。

ところが、原告は、昭和六三年二月八日付けで、加藤に対し、昭和六二年一二月二八日及び二九日に無許可で欠勤したことは遺憾であるとし、その責任追及の権利を留保することを通告する旨記載した「警告並びに通告書」を発し、賞与を減額した。これに対し、被告補助参加人島田支部は、昭和六三年二月二九日付け文書でその撤回を申し入れたほか、同年八月二四日付け文書をもって、原告に対し、抗議するとともに減額された賞与の返還を求めて団体交渉の申入れを行った。

(東京営業所)

① 昭和六一年八月八日

当時、原告の営業本部は、第一ないし第五地域営業部に分かれており、第二地域営業部が関東一円の営業所を統括していた。このうち、東京営業所には第一ないし第四の出張所があり、植野、岩崎及び東海はいずれも東京都豊島区池袋所在の東京第一出張所に所属して営業活動に従事していた(なお、昭和六三年一月組織変更が行われ、営業本部は、各支店単位となり、東京第一出張所は、東京支店の東京第二営業所と名称変更されている。)。

植野は、セルフ・サービス・ストア・セールスマンで、顧客先を訪問して営業活動を行うのが業務であるところ、昭和六一年八月八日、始業時刻の午前八時五〇分を過ぎた午前九時一〇分ころ、生田所長に対し、株式会社カクエーの徳永篤志(以下「徳永」という。)と商談をした旨電話で連絡してきて、午前九時三〇分ころ出社した。株式会社カクエーは六店舗を持つローカルチェーンストアで、植野が担当する重要顧客の一つであり、徳永は同社本部の仕入れ担当者であった。

ところが、その後午前一〇時四五分ころ、生田所長が徳永と電話で話す機会があった際に、植野が株式会社カクエーの本部へ行って徳永と商談などしていないことが判明した。しかし、植野は「セールスマン日報A」にも徳永と商談した旨記載した。そこで、原告は、同年九月一日付けで、植野に対し、虚偽の報告について、責任追及の権利を留保することを通告する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

なお、当時、植野は、被告補助参加人の東京支部執行委員長であり、同月九日には第二二回支部定期大会が予定されていた。

② 昭和六二年三月六日

植野、岩崎及び東海は、昭和六二年三月四日午後五時三〇分ころ、同月六日の年次有給休暇の申請書を生田所長の机の上に置いて退社した。生田所長は、同月五日、右三名に対し、「今、休める状態ではない。休まないで欲しい。時季を変更してくれ。」、「三人一緒に休まれては困る、少なくとも交代で休んでくれ。」と言ったが、右三名はこれを聞き入れなかった。さらに、生田所長は、同月六日は出勤するように、出勤しなければ無断欠勤になる旨指示・注意したが、右三名は同月六日欠勤した。

原告は、同年四月二二日付けで、右三名に対し、右無断欠勤に猛省を促すとともに、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

ところで、昭和六二年三月は、新製品「朝食シリアル」の発表、レギュラーコーヒーの価格改訂などがあり、営業社員は、顧客先を訪問して、こうした変更等について案内しなければならないという状況にあった。

一方、植野、岩崎及び東海が、昭和六二年三月六日に年次有給休暇を取得しようとしたのは、同日朝駅前でビラを配布したり、「スイスツアー」、「千人集会」といった被告補助参加人の活動計画についてのいわゆるオルグを行うなど、被告補助参加人の組合活動に参加するためであった。

③ 昭和六二年九月一〇日及び一六日

植野は、昭和六二年九月九日午後五時三五分から、生田所長に対し、同月一〇日午前八時五〇分から午前一一時五〇分までの組合休暇を申請したが、生田所長はこれを許可しなかった。しかし、植野は、同月一〇日、団体交渉・チェックオフ事件に関する東京地方裁判所で開かれる公判を傍聴するため午前八時五〇分から正午まで欠勤した。そこで、原告は、植野に対し、職場離脱及び業務放棄であるとして、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

植野、岩崎及び東海は、同月一四日午後五時三〇分ころ、生田所長に対し、同月一六日午前八時五〇分から正午までの組合休暇を申請したが、生田所長はこれを許可しなかった。しかし、右三名は、同月一六日、村松の降格配転に関する東京地方裁判所で開かれる公判を傍聴するため午前八時五〇分から午後一時一〇分まで欠勤した。そこで、原告は、同年一〇月二一日付けで右三名に対し、右と同様の「警告並びに通告書」を発した。

④ 原告は、①ないし③の植野ら被告補助参加人組合員の行為を無断職場離脱ないし無断欠勤として賞与の控除対象とした。

(神戸本社)

① 昭和六一年一〇月三〇日

当時原告の神戸本社全体では約三〇〇人の従業員が在籍するうち被告補助参加人の組合員は五名であった。そして、原告神戸本社の購買運輸部には約一〇名程度の従業員が配置されていたが、そのうち被告補助参加人の組合員は松浦と赤井の二名で、松浦は運輸課、赤井は包装資材課に所属していた。当時の購買運輸部では、被告補助参加人と訴外組合との対立が激しく、松浦や赤井と訴外組合の組合員との間でしばしばトラブルが生じていた。

当時被告補助参加人神戸支部の執行委員長であった松浦は、昭和六一年一〇月三〇日午前一〇時ころ、隣の包装資材課で赤井と松本課長代理が話をしているのを聞きつけて自席を離れ、包装資材課に向かった。赤井は、それまで担当していた事務機器等の購買業務を一方的に取り上げられたとして松本課長代理に抗議し、松本課長代理と口論となっていた。松浦は、これに加わり、松本課長代理に対し、「また、いやがらせをやっとるんか。」、「あほ、ぬかせ。」、「赤井君、こんなあほな課長のいうこときくことないで。」などと発言した。小澤課長代理は、松浦に戻って仕事に就くように指示・注意したが、松浦は午前一〇時八分ころまで仕事に戻らなかった。

原告は、昭和六一年一一月四日付けで、松浦の右行為に対し、業務を妨害したとして、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

一方、被告補助参加人神戸支部は、同年一〇月三一日付け文書で、原告に対し、赤井の業務を取り上げたこと、同月三〇日、松本及び小澤の両課長代理並びに購買運輸部に所属する訴外組合の組合員が赤井及び松浦に対し暴言を浴びせたこと等について抗議した。

② 昭和六一年一二月一日

松浦は、昭和六一年一二月一日午後三時一五分ころ、被告補助参加人の斉藤本部執行委員長から、団体交渉・チェックオフ事件に関して東京地方裁判所による緊急命令決定が出たこと及びその内容等の連絡を電話で受けて話していたところ、小澤課長代理が私用電話はやめて仕事をするよう注意したが、松浦がなお電話を続けていたため、傍らにいた訴外組合の組合員が電話を取り上げ、「何が裁判や、仕事中や。」などと言ったため、これに抗議しようとしてもみ合いになるなどトラブルが生じた。その際、松浦に、その組合員のあごを右手拳で数回突き上げ、同組合員の左手首をねじり上げるなどの行為があった。小澤課長代理は、松浦に対し注意し、自席に戻って仕事に就くよう指示したが、松浦はこれに抗議し、午後三時四五分ころまで仕事に戻らなかった。

被告補助参加人神戸支部は、同月二日付け文書で、原告に対し、訴外組合の組合員の行為が原告の不法な労務管理によるものであると抗議した。

他方、原告は、松浦に対し、暴力行為及び業務の放棄について、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

③ 昭和六一年一二月二日

松浦及び赤井は、昭和六一年一二月二日午前中、組合休暇を申請して欠勤しており、同日は午後一時ころ出社したところ、小澤及び松本両課長代理は、松浦及び赤井の組合休暇を許可していなかったので、他の課員らとともに、約一五分にわたり、松浦及び赤井に対し、欠勤したことを注意し、「会社をやめろ。」、「このばかたれが。」などと発言した。たまりかねた松浦、赤井は、坂本及び椿とともに労務部へ赴き、黒田労務課長に対し、事態の是正を求めて抗議をしたところ、小澤課長代理は「仕事の邪魔などしていない、席に戻って仕事に就きなさい。」などと松浦に対し指示し、赤井、坂本及び椿の上司らもやって来て右三名に対し、席に戻って仕事に就くよう指示したが、右四名は、さらに重役室のある七階に行って抗議を続けようとし、午後一時五三分ころまで職場に戻らなかった。

原告は、松浦及び赤井に対し、業務を放棄し、業務を妨害したことは遺憾であるとし、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

④ 昭和六一年一二月一一日

当時被告補助参加人の本部及び神戸支部の執行委員を兼務していた椿は、原告の神戸本社の会計部に所属していたが、昭和六一年一二月一一日午前九時一二分ころ、松浦に対し緊急命令決定を受けての本部要求と支部要求に関して連絡するため、自席を離れ購買運輸部に赴いた。購買運輸部から連絡を受けて、椿の上司である村上係長は購買運輸部へ向った。村上係長は、松浦の上司である小澤課長代理とともに、椿及び松浦に対し、仕事に戻るよう注意・指示したが、両名は組合の連絡である等答え、午前九時二二分ころ席に戻った。

原告は、昭和六一年一二月一七日付けで、右二名に対し、業務を放棄したことは遺憾であるとし、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑤ 昭和六一年一二月一九日及び昭和六二年一月二一日

松浦は、昭和六一年一二月一八日午後、小澤課長代理から社内販売用のレギュラーコーヒーの出荷指図書一五枚を書くよう指示されたが、従来から罹患している腱鞘炎の状況が良くなかったため、「手が痛くて書けない。」と述べ、小澤課長代理が重ねて指示したにもかかわらず、これに従わないで退社した。小澤課長代理がその書類を松浦の机の中に入れておいたところ、松浦は、翌一九日始業時(午前八時三〇分)に出社すると、この書類を見て、小澤課長代理のもとへ行き、手が痛くて書けない旨猛然と抗議し、「あほか、お前。」などと発言した。小澤課長代理と浅川購買運輸部長が席に戻って仕事に就くよう指示したが、松浦はなおも抗議し、同部長に対し、「お前が一番悪や。無能や。」などと発言し、午前八時四五分ころまで仕事に就かなかった。

また、松浦は、昭和六二年一月二一日の昼休み中に地域の労働組合との連絡業務を行っていたが、それが長引いてしまった。そこで、松浦から依頼された赤井が、午後一時すぎに小澤課長代理に対し、松浦は急に連絡することができたので少し遅れる旨伝えた。松浦は、午後一一時一一分席に戻り、小澤課長代理に対し、急用があって遅れた旨詫びたが、遅れた理由は言わなかった。これに対し小澤課長代理は、まず課長代理に連絡すべきであり、理由も言えない急用で事後に連絡することは認められないと注意した。

原告は、昭和六二年一月二三日付けで、松浦に対し、右二件について業務を放棄したとして、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑥ 昭和六二年四月二一日

松浦、坂本及び赤井が午前八時二〇分ころ、原告の神戸本社前の路上で被告補助参加人の教宣誌を配布していたところ、購買運輸部に所属する訴外組合の組合員がやってきて、松浦が手に持っていたビラをたたき落とし、松浦らがこれに抗議すると、「なにをゴミみたいなもん撒きやがって。」などと言って、配布を妨害した。そのため、松浦、坂本、赤井及び椿は、午前八時四〇分ころ、労務部に赴き、黒田労務課長に対し、ビラ配布の妨害をやめさせるよう抗議したが、黒田労務課長は、組合内部の問題であり、原告には関係ない旨答えて取り合おうとしなかった。しかし、右四名は、なおも黒田労務課長に抗議を続けた。その後始業時刻の午前八時四五分になったので、右四名の上司である小澤課長代理、松本課長代理、神津二郎(以下「神津」という。)財務課長、村上係長とともに黒田労務課長も右四名に対し、職場に戻って仕事に就くように注意・警告したが、右四名は、午前九時五分ころまで労務部で抗議を続けた。

原告は、坂本に対し昭和六二年六月八日付けで、その余の三名に対し昭和六二年五月二七日付けで、それぞれ業務を放棄し、業務を妨害したことについて、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

一方、被告補助参加人神戸支部は、これに先立つ昭和六二年四月二二日付け文書で、原告に対し、ビラ配布の妨害行為に抗議するとともに謝罪を求めた。

⑦ 昭和六二年五月一一日

小山、松浦、坂本及び赤井は、午前八時二五分ころ、労務部へ赴き黒田労務課長に対し、本社前でビラの配布をしていたところ、坂本が訴外組合の組合員に殴られたといって抗議した。これに対し、黒田労務課長は、組合内部のことは組合内で解決するよう答え、また、始業時刻の午前八時三〇分になったので、職場に戻るよう指示し、右四名の抗議に取り合おうとしなかった。しかし、右四名は、なおも抗議を続けたため、右四名の上司である小澤課長代理、松本課長代理、神津財務課長が労務部へ来て職場に戻るよう指示したが、それに従わずさらに重役室のある七階へ上がり、午前一〇時二〇分ころまで抗議を続けた。

原告は、坂本に対し昭和六二年六月八日付けで、その余の三名に対し同年五月二七日付けで、それぞれ業務を放棄し、業務を妨害したことについて、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

一方、被告補助参加人神戸支部は、原告に対し、文書でビラ配布の妨害行為に抗議するとともに、これに関連して発せられた「警告並びに通告書」の撤回を求めた。

⑧ 昭和六二年五月一二日及び一四日

坂本は、昭和六二年五月一二日、始業時刻の午前八時三〇分になっても出勤せず、午前八時四〇分ころ、神津財務課長に対し、電話で「今日はあごが痛いので休みます。」と連絡してきた。そこで、神津財務課長は、翌一三日に出勤してきた坂本に対し病欠の届出と診断書を提出するよう指示した。坂本は、同月二七日、神津財務課長に対し同月一一日付けの診断書を提出したが、右診断書には「左下顎部挫傷等で七日間の通院加療を要す。」と記載され、「休業加療」との記載はなかったため、神津財務課長は病欠とは認められない旨坂本に伝えた。なお、坂本のあごの痛みというのは、その前日(五月一一日)朝ビラ配布の際、訴外組合の組合員に殴られたためであり、坂本は当日医師を受診し、翌一二日は痛みのため出勤しなかったものであった。

坂本は、同月一四日、当初昼過ぎまでの組合休暇として申請したが、午後一時一〇分ころ、電話で神津財務課長に対し、「今日は一日中会社に行けないので年次有給休暇を取得したい。」と述べて、出勤しなかった。神津財務課長は、翌一五日出勤してきた坂本に対し、年次有給休暇への振替はできないとして、これを認めなかった。原告においては、年次有給休暇の申請は事前に行うこととされており、事後における欠勤の年次有給休暇への振替は傷病あるいは正当な個人的理由がある場合に限る扱いとされていた。

原告は、昭和六二年六月八日付けで、坂本に対し、右欠勤は無断欠勤であるとして、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑨ 昭和六二年一二月四日

松浦は、始業時刻(午前八時三〇分)を過ぎた午前八時三五分ころ、上司であった松本課長代理に電話で、家の急用で年次有給休暇を取得したい旨連絡してきた。松本課長代理は、「家の急用とは何か。」とさらに理由を尋ねたが、松浦が答えようとしなかったので、出社を指示したが、松浦は同日出社しなかった。そして、松本課長代理は、同月七日の月曜日に出社してきた松浦に対し、年次有給休暇は事前に申請すること、事後に欠勤を年次有給休暇に振り替えることができるのは、健康上の理由などやむを得ない事情があるときに限られることを説明し、同月四日の欠勤は許可できない旨申し渡した。

原告は、松本に対し、昭和六二年一二月二四日付けで、右の欠勤を無許可の欠勤であるとして、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑩ 昭和六一年一〇月一四日

椿は、昭和六一年一〇月一三日、始業時刻の午前八時三〇分を過ぎた午前八時四九分ころ、村上係長に対し電話で、「扁桃腺が腫れて声が出ないので休ませて欲しい。」と連絡した上終日欠勤したが、その翌日である同月一四日も始業時刻になっても出勤せず、午前九時一五分ころ、村上係長に電話で「午前中は体調が悪いので休ませて欲しい。」と連絡してきた。椿は、同月一四日午後は組合休暇を申請しており、実際に被告補助参加人の活動を行った。

村上係長は、同月一五日出社したきた椿に対し、診断書を提出するよう求めたが、椿はこれを拒否して診断書を提出しなかったため、椿に対し、同月一四日については、無断欠勤となる旨申し渡した。

原告は、昭和六一年一一月六日付けで、椿に対し、右欠勤について「警告並びに通告書」を発した。

⑪ 昭和六二年四月六日及び七日

椿は、昭和六二年四月六日、始業時刻である午前八時四五分の直前になって村上係長に対し、電話で「年次有給休暇を取得したい。」旨連絡してきた。村上係長は、椿の年次有給休暇の申請が事前に出されたものではなかったため、理由を尋ねたところ、椿は体調が悪いわけではないこと、旅券の取得の手続を行わなければならないことを答えた。村上係長は、月初めはストックの締めで忙しい旨説明して、出社を指示したが、椿は終日出社しなかった。

さらに椿は、翌七日も、始業時刻の直前村上係長に対し、電話で「年次有給休暇を取得したい。」旨連絡してきた。そこで、村上係長が前日と同様理由を尋ねたところ、椿は私用である旨答えたので、村上係長は、前日と同様の説明をして出社を指示したが、椿は終日出社しなかった。

原告は、昭和六二年四月三〇日付けで、椿に対し、右欠勤について、無許可で欠勤をしたことは遺憾であるとし、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

なお、椿は、右のとおり年次有給休暇を認められなかったが、昭和六一年、六二年のいずれについても最終的には付与された年次有給休暇をすべて取得している。

⑫ 昭和六二年六月三〇日

椿は、始業時刻である午前八時三〇分の直前、その所属するインダストリアル・アカウンティング部の佐伯部長(村上係長及び椿の上司である。)に対し、電話で「年次有給休暇を取得したい。」旨連絡した後、午前九時一〇分ころ出社し、佐伯部長に対し、改めて「緊急の用事ができたので、年次有給休暇を取得したい。」と述べた。佐伯部長は、椿に対し理由を問い質したところ、椿が個人的なことである旨答えるだけであったので、同部長は、決算期で業務が繁忙である旨説明して出社を指示したが、椿はこれに従わず欠勤した。

原告は、昭和六二年七月二日付けで、椿に対し、右欠勤について、無許可で欠勤したことは遺憾であるとし、その責任追及の権利を留保する旨記載した「警告並びに通告書」を発した。

⑬ 昭和六二年一〇月一日

椿は、昭和六二年九月三〇日年次有給休暇を取得していたが、その翌日である同年一〇月一日も、始業時刻を過ぎてから、直属の上長である村上係長に対し、電話で「年次有給休暇を取得したい。」旨連絡してきた。村上係長は、椿が理由をプライベートな急用と述べるだけであったので、月初めで忙しい旨説明して出社を指示したが、椿はこれに従わず欠勤した。村上係長は、翌一三日に出社してきた椿に対し、再度欠勤の理由を尋ねたところ、前日と同様の答えであったので、椿に対し、年次有給休暇は認められないと申し渡した。

原告は、昭和六二年一〇月一三日付けで、椿に対し、右欠勤について「警告並びに通告書」を発した。

⑭ 昭和六二年一〇月二六日、二七日及び三〇日

椿は、昭和六二年一〇月二六日午前八時二五分ころ、村上係長に対し電話で「体調が悪く出社できる状態ではない。」と連絡して終日出社せず、翌二七日も何ら連絡することなく欠勤した。

村上係長は、同月二八日出社してきた椿に対し、病院で治療を受けて診断書をもらってきたかどうか尋ねたところ、椿は、同月二六日は病院には行かず自宅で休んでいたこと、二七日は体調は良くなかったが外出していたことを述べたので、両日の不就労は認められない旨注意・警告した。

また、椿は、昭和六二年一〇月三〇日始業時刻直前、村上係長に対し電話で当日の欠勤を申し出た。村上係長は、月末で業務が繁忙であること、椿は一〇月度既に三日欠勤していることを指摘して、出社するよう指示したが、椿は終日就労しなかった。

原告は、昭和六二年一一月一七日付けで、椿に対し、右の欠勤について「警告並びに通告書」を発した。

⑮ 昭和六二年一二月

椿の昭和六二年一二月の不就労日数は、週休日及び原告の休日一〇日を含めて二八日であり、椿が就労したのは三日であった。

椿が週休日及び原告の休日以外に欠勤した一八日のうち、同月九日、一〇日、二三日及び二四日については、原告に一切連絡がなかった。また、椿は、同月一六日、一七日については村上係長に対し電報で組合休暇を申請した。その他の同月四日、七日、八日、一一日、一四日、一五日、一八日、二一日、二二日、二八日ないし三〇日は、いずれもその当日、椿あるいはその家族から村上係長に対し、電話、電報等で連絡したか、村上係長の方から椿に対して状況を問い合わせたものであった。これらの欠勤の理由は、主として体調不良であり、そのため病院へ行くといった内容であったが、椿が病院へ行った後、村上係長など上司に対し、その詳細な報告を行ったことはなく、近藤診療所の近藤利之医師作成にかかる昭和六二年一二月一一日付け(原告は同月二八日受領。)及び同月二八日付け(原告は同月三〇日受領。)各診断書が提出されただけであった。右診断書には、いずれも「上気道感染症、約五日間の加療を要す。」と記載されている。また、この間村上係長は、同月二二日に椿の自宅を訪問した際、二三日からは出社すること、何かあれば口頭で連絡することを指示した。

原告は、昭和六二年一二月三〇日付けで、椿に対し、右の同年一二月の就労態度について「警告並びに通告書」を発した。

⑱ 原告は、①ないし⑰の松浦ら被告補助参加人の組合員の行為を、無断職場離脱、無断欠勤であるとして、賞与の控除対象とした。

2  検討

(一) 原告の被告補助参加人に対する態度等

原告は、従前より被告補助参加人の存在を否認し続けて団体交渉などを一切行わず、団体交渉・チェックオフ事件に関して東京地方裁判所により緊急命令決定が出て、それを受けた被告補助参加人及び各支部が昭和六二年一月から団体交渉申入れを行い、さらに頻繁に抗議行動を繰り返していたのに対し、これらの被告補助参加人の組合員の行動について、無断職場離脱として多数の「警告並びに通告書」を発しながら、被告補助参加人とは、昭和六二年の春季賃金及び賞与に関しても、団体交渉を行うなどの対応を一切せず、また、緊急命令決定に基づく被告補助参加人との団体交渉も、昭和六二年一二月で終了したとして、以後一切被告補助参加人に対応していない。

他方、原告は、昭和六二年三月末から訴外組合と同時期の賃金及び同年度の賞与に関して団体交渉を開始し、同年四月二七日に昭和六二年協定を締結し、翌年にも、団体交渉を行った上、昭和六三年度の賞与について昭和六二年協定と同内容の協定を締結している。

原告がこのように被告補助参加人の存在を否認し続け、従前から被告補助参加人と団体交渉を一切行ってこなかったことは、遅くとも昭和五八年前半までには、原告に被告補助参加人が存在し、そのころには原告もそれを認識しうる状況であったことに照らせば、不当労働行為に当たることは明らかであり、原告は、本件各賞与に関して被告補助参加人と団体交渉を行った上、その支給月数、支給基準等について取り決めをすべきであったものである。

(二) 本件各賞与協定の合理性

(1) 本件各賞与協定によって、賞与に関し、計算対象期間が変更されたほか、年間支給月数が年間六・〇か月から六・二か月に増加したのに伴い勤怠の取扱い(控除基準)が厳しくなっている。控除基準に関し、変更があったのは、私傷病欠勤、無断欠勤、職場離脱、原告が承認した無給休暇、ストライキ等の取扱いである。このうち、私傷病欠勤については二二日以上欠勤した場合に控除の対象とされていたのが一日目から控除の対象とされるようになり、原告が承認した無給休暇についても、従来一三日以上の場合に控除の対象とされていたのが七日以上から控除の対象とされるようになった。そして、特にその取扱いが厳しくなったのは、無断欠勤と無断職場離脱である。無断欠勤は、従来一日につき年間賞与の二六〇分の一の控除であったのが、一日につき三日分の欠勤とみなされ、一日当たり当該賞与(半年)の一二三分の一が控除されることになった。無断職場離脱は、従来累計時間八時間につき一日の欠勤とみなして控除されていたのが、一回につき一日の欠勤とみなされるようになった。また、本件各賞与年協定では、欠勤日数が八五日以上とみなされる場合、基本手当及び家族手当等の一か月分を超えない範囲の金一封の支給となった。なお、ストライキの取扱いについては、従来年間労働時間一九四〇時間を分母とし、ストライキの累計時間を分子として、これを年間賞与額に乗じた額を控除していたのを、九八四時間を分母とし、ストライキの累計時間を分子として、これを当該賞与額に乗じて得た額を控除するようになり、年間に直すと分母とする時間数が増加したため、控除率は若干低くなっている(以上につき第一の一3(一)(2)、(二)(1)、第二の一1(一)(2)、(3))。

(2) このように、本件各賞与協定は、新控除基準で、勤怠に対する取扱いを従来よりも厳しくしているが、他面では、賞与の年間支給月数を六・〇か月から六・二か月へと引き上げるという有利な内容を含んでいる。そして、原告においては、昭和六二年協定で、賞与の年間支給月数を引き上げるのに伴って新控除基準への変更を行い、賞与額を増額する代わりに勤怠に関しては厳しく取り扱うことにしたもので、そうした原告の方針は一般的には理解し得るものである。また、原告の同業他社における勤怠に関する取扱いをみても、特に原告が厳しいというわけではなく、新控除基準と同程度あるいはそれ以上の厳しい取扱いをしているところもある(前記1(一)(2))。これらのことを考慮すれば、昭和六二年協定を全体としてみるとき、その内容自体は不合理なものとはいえない。

(三) 被告補助参加人の組合員への新控除基準適用の問題点

しかしながら、前記(一)の状況下で原告が被告補助参加人の組合員に対して本件各賞与協定を適用することは、次のような問題がある。

(1) 労働協約の事業場単位の一般的拘束力の観点

《証拠省略》によれば、昭和六二年及び昭和六三年当時訴外組合は、原告の各事業場においていずれも従業員の四分の三以上の組合員を有していたことが認められるが、事業場において従業員総数の四分の一未満の者が別に自ら労働組合(以下「少数組合」という。)を結成していた場合には、その少数組合の団結権・団体交渉権を保障する必要があるから、労働協約についての事業場単位の拘束力は、少数組合には及ばないと解するのが相当である。

したがって、本件各賞与協定の効力は、被告補助参加人に及ばないもので、原告は、本来、被告補助参加人との間で本件各賞与協定と同一内容の協定を締結しない限り、本件各賞与協定の効力を被告補助参加人に及ぼすことができないものである。

(2) 新控除基準と旧控除基準との比較

前記(二)(1)新控除基準では、私傷病欠勤が従来は二二日以上であったのに一日目から控除の対象となったこと、原告の承認無給休暇も一三日以上であったのが七日以上から控除の対象となったこと、無断欠勤が一日につき三日分の欠勤とみなされるようになったこと、無断職場離脱が従来は累計時間が八時間を超えたときに初めて控除の対象とされていたのが一回につき欠勤一日として取り扱われるなど、旧控除基準に比べて、概して厳しい取扱いになっている。

そして、被告補助参加人の組合員についていえば、原告が被告補助参加人の存在を否認していたことから、役員であっても組合休暇が認められず、無断欠勤とされたり、原告に対する抗議行動が無断職場離脱とされたりしたため、賞与からの控除額は、従来に比べて著しく大きくなり、賞与の支給月数が増加したことによる利益よりも、新控除基準が適用されることによる不利益が大きい。個別的には、(3)以下のとおりである。

(3) 組合休暇について

原告が訴外組合の役員に認めている組合休暇を被告補助参加人の役員に認めていないことは争いがなく、その結果、被告補助参加人の役員が組合休暇を申請しても認められず、無断欠勤と取り扱われていることは前記1(三)(1)のとおりである。

原告は、被告補助参加人の組合員に組合休暇を認めない理由として、被告補助参加人との間には、訴外組合との間におけるように組合休暇の根拠となる労働協約等が存在しないこと、被告補助参加人の役員の組合員に占める割合が訴外組合の場合よりも著しく高く、訴外組合の役員に組合休暇を認めることは、被告補助参加人を訴外組合よりも有利に取り扱うことになるからであると主張する。

しかし、本来、組合休暇をどの範囲の者に認めるかは労働協約等で合意すべき事柄であるところ、被告補助参加人と原告との間にこのような労働協約が締結されていないのは、専ら原告が被告補助参加人の存在を認めず、団体交渉を行うことを拒否してきたからである上、被告補助参加人の役員の組合員に占める割合が訴外組合の場合よりも著しく高く、訴外組合との間に不平等が生じることを避ける必要があるとすれば、原告としては、被告補助参加人との団体交渉を通じて、訴外組合との間に不平等を生じない範囲で組合休暇を認める労働協約を締結すべきである。

ところが、原告は、被告補助参加人の存在を否認し続け、被告補助参加人との団体交渉を従前ことごとく拒否してきたのであり、このように、労働協約に向けての団体交渉を拒否してきた原告が、根拠となる労働協約が締結されていないことや、被告補助参加人の役員の組合員に占める割合を理由として、被告補助参加人の役員全員について組合休暇を全く認めないことに合理的な理由があるとはいえない。したがって、新控除基準が被告補助参加人の組合員に適用される場合、旧控除基準が適用される場合に比してその不利益は大きい。

(4) 抗議行動について

被告補助参加人の組合員の抗議行動(前記1(三)(2))は、いずれも団体交渉・チェックオフ事件に関連して東京地方裁判所が行った昭和六一年一二月一日及び同月四日の緊急命令決定を受けて、被告補助参加人の各組合が原告に対し、当該工場において団体交渉を行うことを要求したのに対し、当該工場の労務担当の管理職らが本社で検討中であるとの理由で直ちに団体交渉を開催しようとしなかったことに端を発して行われており、その内容も団体交渉を行うよう要求するものである。このことからすると、被告補助参加人の組合員の抗議行動は組合活動の一環としてされたものということができる。

もっとも、組合活動であっても、それが正当性を有するものでなければ、労働組合法一条二項、八条の趣旨に照らし法的保護(刑事免責、民事免責、不利益取扱いからの保護)を受けることはできないところ、労働者は、労働者の基本的な義務として就業時間中は職務に専念しなければならないから、正当な組合活動であるというためには、目的において正当であるだけでなく、就業規則、労働協約上許容されている場合、慣行上許されている場合、使用者の承諾がある場合などを除き、就業時間外に行われるものでなければならず、就業時間中に組合活動を行うことは許されないものである。

前記の被告補助参加人の組合員の抗議行動は、いずれも、就業時間中に原告の構内において原告の承諾なく行われており、正当な組合活動ということはできないのであって、その間、同組合員らは職務に専念していなかったのであるから、無断職場離脱と評価されてもやむをえないことになる。そして、これについて新控除基準が適用される場合、旧控除基準が適用される場合に比して、被告補助参加人の組合員の不利益は大きい。

(5) ストライキについて

原告は、被告補助参加人の東京支部の中川については、昭和六二年冬季賞与の勤怠考慮の対象期間である同年二月から七月までの間ストライキの通告の上欠勤したものについてストライキとして取り扱い、その日数が八五日以上であることから、原告は、新控除基準を適用して、賞与に代えて金一封を支給している(前記1(三)(3))が、これも、この場合でも賞与自体は支給される旧控除基準と比して不利益は大きい。

(6) 年次有給休暇の取り扱いについて

① 年次有給休暇は、労働基準法上労働者に認められた権利であり、労働者は具体的にその時季を指定することができるが、「事業の正常な運営を妨げる場合」には、使用者が時季変更権を行使することができる。

したがって、原告が「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当しないにもかかわらず、被告補助参加人の組合員に対し、年次有給休暇の取得を認めず、無断欠勤として取り扱い、新控除基準を適用して賞与を控除したとすれば、それは許されないものである。

② 昭和六二年一月一五日及び一六日(霞ケ浦工場)

被告補助参加人霞ケ浦支部の組合員は、緊急命令決定を受けた臨時全国大会に全員で参加するため、昭和六二年一月八日、九日及び一二日などに、同月一五日及び一六日の年次有給休暇の取得を申請しようとしたものであり(前記1(三)(4)霞ケ浦工場①)、被告補助参加人の組合員はいずれも事前に年次有給休暇の取得を申請している。

原告は、原告が時季変更権を行使したにもかかわらず、被告補助参加人霞ケ浦支部の組合員らがこれに従わなかったとするところ、前記1(三)(4)(霞ケ浦工場)③によれば、被告補助参加人の組合員に先だって、昭和六二年一月六日から八日にかけて、原告霞ケ浦工場のブライト/ニド生産ライン担当の従業員が年次有給休暇の取得を申請し、また、被告補助参加人の組合員の欠勤によりミロ充填包装ラインを停止していることが認められるが、同月一五日及び一六日の週のスケジュールが通常どおり前の週の金曜日(同月九日)に掲示された際には、ミロ充填包装ラインの同月一五日及び一六日の運転予定はなしとされていたこと、被告補助参加人が同月八日に配布した教宣誌で同月一五日ないし一八日にかけての臨時全国大会の開催を明らかにしていたことに照らせば、原告は、被告補助参加人の臨時大会の開催を知り、同月一五日及び一六日のミロ充填包装ラインの運転をしない予定を変更し、これを運転することにしたのではないかとの疑問を抱かざるを得ない。

そして、右の疑問のとおりとすると、同月一五日及び一六日に被告補助参加人の組合員が年次有給休暇を取得しても、本来の予定であれば特段業務に支障を来すことはなかったものであるから、右年次有給休暇取得の申請を認めなかった原告の行為には問題があるというべきである。

③ 昭和六二年一一月一二日(島田工場)

前記1(三)(4)(島田工場)によれば、増田が年次有給休暇の取得を申請したのは、昭和六二年一一月一日から同年一二月五日までの主要製造ラインである凍結真空乾燥(フリーズ・ドライ)装置の停止中の期間であり、工務課保全の営繕係に所属する増田はその期間に同ラインの整備・修理作業に従事することが予定されており、増田が年次有給休暇の取得を申請したのは、翌日の作業予定が決定されていた前日の夕方であった。

このように、増田の従事しなければならない作業の予定期間が限られていたことや、翌日の作業予定が決定されていた前日の夕方に年次有給休暇取得が申請されていることからすると、原告が、業務繁忙を理由として増田の年次有給休暇を認めなかったのはやむを得ないというべきである。

④ このように、①ないし③に関して、原告が無断欠勤として取り扱ったことの中には、その取扱いが相当でないものもあるが、この点は置くとしても、新控除基準が適用される場合、旧控除基準が適用される場合に比して被告補助参加人組合員の不利益は大きい。

(7) 訴外組合とのトラブル

前記1(三)(5)のとおり、訴外組合とのトラブルのために、十分な休憩をとることができないと考えた被告補助参加人島田支部の組合員ら四名(長谷川、神戸、増田及び増井)が、原告にその対処を求めたことは、被告補助参加人の組合員の労働環境に関する事柄であり、組合活動であるとみる余地がある。そして、昭和六二年一二月四日以前も頻繁にそうした状況が生じていて、被告補助参加人及びその島田支部が文書で原告に対し対処することを求めていたにもかかわらず、原告は、被告補助参加人の存在を否認していたため、単に組合内の問題にすぎないとして、これを放置してきたことから、被告補助参加人の組合員らがこのような行動に出たという面があったことは否定できない。

しかし、長谷川、神戸、増田及び増井の右行動は、原告の承諾を得ることなく、就業時間中にまで及んでおり、しかも二時間余りの長時間にわたるもので、正当な組合活動であるということはできず、これを無断職場離脱と評価されてもやむを得ないことになるが、新控除基準が適用される場合、旧控除基準が適用される場合に比して被告補助参加人組合員の不利益はやはり大きい。

(8) その他の無断欠勤・職場離脱について

① 島田工場

前記1(三)(6)(島田工場)によれば、加藤の欠勤についてはこれが承認されていたとみる余地があり、これを後に無断欠勤として取り扱い、新控除基準を適用して賞与を控除することには問題がある。

② 東京営業所

ア 昭和六一年八月八日の植野の職場離脱について

前記(三)(6)(東京支店)①によれば、植野は、同日始業時刻の午前八時五〇分から午前九時三〇分までの間、顧客先を訪問していたわけではなく、上司の許可なく仕事に就いていなかったことは明らかであるから、原告がこれを無断職場離脱としたことは当然の措置であったというべきである。

イ 昭和六二年三月六日の植野、岩崎及び東海の年次有給休暇の申請について

既に述べたように、「事業の正常な運営を妨げる場合」に当たれば、原告は時季変更権を行使することができるところ、前記1(三)(6)(東京支店)②によれば、当時新製品の発表や主力商品の価格改定などにより右三名のような営業社員は顧客先の訪問を頻繁に行わなければならない状況で業務繁忙であり、また、営業社員はそれぞれ顧客先を担当していたことからすると、植野らの年次有給休暇取得申請を認めて他の営業社員で代替することも困難であったと考えられるから、原告の時季変更権は正当に行使されたものというべきである。

なお、《証拠省略》には、価格改定は問屋から各小売店に通知するもので、価格改定で営業社員が忙しくなることはない旨の記載があるが、《証拠省略》によれば、価格改定は問屋から通知されるものの、製造元である原告の営業社員もその説明を行わなければならないことが認められるから、各小売店への価格改定の通知が問屋からされるからといって、そのことから原告の営業社員の業務が繁忙でなかったということはできない。

ウ 昭和六二年九月一〇日及び一六日の植野、岩崎及び東海の職場離脱について

植野は、昭和六二年九月一〇日、組合休暇を申請して、原告と被告補助参加人との係争事件の公判傍聴をしている(前記1(三)(6)(東京営業所)③)が、原告の許可はなかったのであるから、組合休暇を申請していた時間について無断職場離脱としたことは問題があるものの、それを超えた部分については、無断職場離脱に当たるとされてもやむを得ない。

同様に植野、岩崎及び東海は、同月一六日に組合休暇を申請して、原告と被告補助参加人の組合員である村松の事件の公判傍聴をしている(前記1(三)(6)(東京営業所)③)が、組合休暇を申請していた時間について無断職場離脱としたことは問題があるものの、それを超えた部分については、無許可の無断職場離脱に当たるというほかない。

③ 神戸本社

前記1(三)(6)(神戸本社)①ないし③の事実、⑤のうち、松浦が小澤課長代理に抗議したこと、⑥及び⑦の各事実は、被告補助参加人の組合員の訴外組合とのトラブルあるいは上司の措置に対する抗議行動が無断職場離脱に当たるとされたものであるが、これらはいずれも上司の許可なく就業時間内に行われていることは明らかであり、組合活動であっても就業時間中の活動は正当な組合活動ということはできないから、これらの行動が組合活動として行われたものであるとしても、無断職場離脱と取り扱われてもやむを得ないというべきである。

同④の事実、⑤のうち、松浦が労働組合との連絡で午後の就業開始時刻に間に合わなかったことは、いずれも組合活動であるということはできるが、上司の許可のない就業時間中の活動であるから、同様に、無断職場離脱に当たるとされてもやむを得ない。

同⑧は、坂本の負傷に伴う休業に関するものであるが、坂本が「通院加療を要す。」と記載された診断書を提出していることからすれば、昭和六二年五月一二日の欠勤については少なくとも私傷病に伴う休暇として扱われるべき可能性があり、また、同月一四日の欠勤については、原告において運用されていた年次有給休暇への振替の要件を備えていた可能性があるというべきである。

この点、原告は、診断書に「休業加療を要す。」との記載がないから休業は認められないとするが、医師が休業の要否の観点から診断書の記載をしたかどうかは判然としないし、少なくとも通院を余儀なくされるような傷病であれば、休業するのも不自然とはいえず、原告の主張は採用できない。

同⑨は、松浦の始業時刻直前の年次有給休暇の申請に関するものである。

原告においては、年次有給休暇は事前に申請すること、欠勤の事後的な振替は健康上の理由等やむを得ない場合に限られることとの運用が行われており、労使間の昭和五七年協約にもその旨合意されている。このような運用は、年次有給休暇によって事業の正常な運営が妨げられることを避けるための措置として肯定できるものであるといえるが、年次有給休暇を取得することが、一定の要件を備えれば労働者に当然に認められている権利であることからすれば、具体的な事例の判断に関しては、その都度「事業の正常な運営が妨げられる場合」に該当するかどうかを個別に検討しなければならないというべきである。

しかし、右松浦についてみると、このような事業に対する支障を認めるに足りる証拠はないから、原告の時季変更権の行使が正当であったかどうかには、疑問が残る。

同⑩は、椿が始業時刻を過ぎてから体調不良を理由に欠勤を申し出たものであるが、同日午後には組合活動を行っていたという事実に照らせば、通院した事実あるいは診断書の提出がない以上、無断欠勤と取り扱われてもやむを得ないというべきである。

同⑪ないし⑬は、椿がいずれも私用で始業時刻の直前に年次有給休暇の取得を申請してきたものであるところ、椿の所属していたインダストリアル・アカウンティング部は、月末から月初めにかけての時期や決算期が業務の繁忙期であり、椿が年次有給休暇を申請してきたのがその期間であったことからすれば、原告の時季変更権の行使は正当なものであったというべきである。

同⑭は、椿が体調不良を理由に欠勤したものであるが、欠勤した昭和六二年一〇月二六日、二七日及び三〇日のうち、二七日は外出していたという事情があることなどからすれば、診断書の提出等がない以上、これらが無断欠勤と取り扱われてもやむを得ないというべきである。

同⑮は、昭和六二年一二月の椿の欠勤であるが、このうち、原告に連絡のなかった同月九日、一〇日、二三日及び二四日が無断欠勤と取り扱われるのは当然であるが、組合休暇を申請した同月一六日及び一七日は既に述べたようにこれを無断欠勤としたことには問題がある。その他の同月四日、七日、八日、一一日、一四日、一五日、一八日、二一日、二二日、二八日ないし三〇日はいずれも体調不良を理由としており、電話あるいは電報でその旨原告に連絡しており、提出は遅れたものの、同月一一日付け及び二八日付け各診断書(いずれも約五日間の加療を要する旨記載されている。)を提出していること、椿の右欠勤は各診断書の日付けの前後でこれに近接していることからすると、右欠勤は私傷病による欠勤と評価すべき可能性がある。

④ 右①ないし③でみたように、原告が被告補助参加人の組合員の無断欠勤、無断職場離脱であるとしたものの中に、その判断の相当性に疑問のあるものもあるが、その点は置くとしても、判断が相当であるとしても、新控除基準が適用される場合、旧控除基準が適用される場合に比して被告補助参加人組合員の不利益は大きい。

(9) 新控除基準を適用した場合と旧控除基準を適用した場合の比較

本件各賞与支給時期における被告補助参加人の組合員らの基準内賃金、本件各賞与協定による支給月数、控除のない場合の支給額、原告が新控除基準を適用し、無断欠勤として控除した日数、控除額(無断欠勤一日を三日分とみなす取扱い)、原告が無断欠勤として控除した日数につき、旧控除基準のとおり一日は一日分とし、それを新控除基準の控除率(半期一二三分の一の割合)で見直した場合の控除額、原告が新控除基準を適用し、無断職場離脱として控除した回数、累計時間、日数換算(一回につき一日の欠勤とみなす取扱い)、控除額及び控除差額、原告が無断職場離脱として控除した分につき、旧控除基準のとおり八時間を一日とする割合として、それを新控除基準の控除率(半期一三二分の一の割合)で見直した場合の控除額、これらの控除差額の合計等は、別表一ないし三のとおりである。

(四) 新控除基準適用の不当労働行為該当性について

原告は、従前より被告補助参加人の存在を否定し続けていたところ、昭和六一年一二月一日及び四日の緊急命令決定により、被告補助参加人との団体交渉義務が課せられたのであるから、原告と対立関係にあった被告補助参加人組合員がこれを契機に攻勢を強め、改めて原告に対し、様々な要求を掲げて団体交渉を求める強い行動に出ることは、容易に予測できたものということができる。

また、昭和六二年協定によって勤怠状況の対象期間が変更されたことによって、昭和六一年八月から同年一二月までの間が昭和六一年冬季賞与と昭和六二年夏季賞与で重複して対象期間となったが(第二の一3(二)(1)①)、昭和六一年一二月は、同月一日及び四日に緊急命令決定が出たことを受けて、被告補助参加人各支部の組合員が原告の各工場等において、団体交渉を要求したにもかかわらず、それが拒否されたことによる被告補助参加人の組合員の抗議行動、各支部間での連絡など被告補助参加人の組合活動が活発になり、訴外組合とのトラブルも頻発していた時期であり(第四の一1(三)(2)(霞ケ浦工場)、(5)、(6)(神戸本社)②ないし④)、これにより被告補助参加人の組合員については、職場離脱の回数が多くなったものといえるし、昭和六二年一月以降においても、被告補助参加人の抗議行動、訴外組合とのトラブルは頻発し、また、臨時全国大会など被告補助参加人の組合活動も活発になっており(第四の一1(三)(2)(島田工場)、(4)(霞ケ浦工場)(5)、(6)(東京営業所)②、③、(神戸本社)⑥、⑦)、訴外組合の組合員と比較して、被告補助参加人の組合員は、その職場離脱が多数回にわたったが、これらは、原告が被告補参加人の存在を否認し続けたことに端を発していることが明らかである。

原告は、現実に被告補助参加人の組合員らがこれらの行動をとっていた渦中において、一方では、これらの行動に対して無断職場離脱、無断欠勤であるなどとして強く警告しながら、他方で、訴外組合との間で昭和六二年一二月を控除対象期間として含む昭和六二年協定を締結したのであって、旧控除基準より総じて厳しい内容となる新控除基準を被告補助参加人の組合員に適用した場合、格別対立関係にない訴外組合の組合員にこれを適用するのに比較して、被告補助参加人の組合員の行為が無断職場離脱、無断欠勤などとされ、同組合員の賞与から控除される額が大きくなることも十分予測できたということができる。

これらのことに、右(三)でみた、新控除基準を含む本件各賞与協定を被告補助参加人の組合員に適用することの本来的可否、被告補助参加人の組合員の行為の態様、それと被告補助参加人の組合活動との関係の有無、組合活動に関係するものについて原告が無断欠勤ないし無断職場離脱として取り扱った回数、新控除基準を適用した場合に同組合員が受ける不利益の程度等を伴せ考えると、原告主張のように、本件各賞与協定が一面では賞与支給月数の増加という利益をもたらすこと、同協定が一般的にはそれ自体不合理とはいえないことを考慮しても、また、原告が適用した新控除基準の下でも一部不相当な控除がされていることは置くとしても、右(一)の状況下で本件各賞与協定による新控除基準を、被告補助参加人との団体交渉を経ることなく、被告補助参加人の組合員に一方的に適用することは、被告補助参加人の組合員を訴外組合の組合員に比し不利益に取り扱ったものというべきであり、右の取扱いは、労働組合法七条一号の不利益取扱いに該当し、同時に、原告は、これにより被告補助参加人組合員の賞与からの減額額が大きくなることを予測し得たにもかかわらず、同組合員に新控除基準を適用しているのであるから、原告のかかる行為は、被告補助参加人に打撃を与えるものとして、同条三号の支配介入に該当する不当労働行為であるといわざるを得ない。

(五) 原告の主張について

(1) 原告は、賞与の性格や旧控除基準の意味付けを理由に、被告補助参加人の組合員への新控除基準の適用は不当労働行為に当たらないと主張する。

第二の一3の事実及び《証拠省略》によれば、原告においては、本件各賞与協定以前、就業規則等であらかじめ賞与支給について具体的な支給基準、支給月数は定められておらず、毎年訴外組合との合意によってこれらを定め、それをそのまま被告補助参加人の組合員にも適用してきたこと、昭和五七年協約で定められた旧控除基準は、その後も昭和六一年までこれによることが毎年確認されてきたことが認められる。

ところで、賞与は、当該期の会社の業績や従業員の勤怠状況等を考慮して算定されるものであるから、各期ごとに賞与の支給基準や支給月数が具体的に定まるものであるが、賞与は、基本的には支給対象期間の勤務に対応する賃金であるというべきであって、原告が訴外組合との間で合意した賞与の支給月数、支給基準(旧控除基準)を数年にわたり被告補助参加人組合員にも適用してきたこと、本件各賞与が被告補助参加人にも支給されていることを考慮すると、被告補助参加人が賞与を支給されること、その控除基準が旧控除基準であることを事実上期待しても、それが既得の権利ないし期待権ではないとはいえ、あながち不当とはいえないし、原告は、本件各賞与に関して、被告補助参加人組合員に賞与が支給されることを信義則上否定できないというべきである。

また、原告は、本来、被告補助参加人と団体交渉を行って本件各賞与の支給月数、支給基準を定めるべきであり、その場合には、従前の支給月数、支給基準が考慮されると考えられるところ、原告には、従前の支給基準として旧控除基準があったのであるから、新控除基準の相当性の判断に当たっては、旧控除基準と比較するほかなく、この意味で旧控除基準が全く無意味であるともいい難い。

これらのことと、不当労働行為救済制度は、使用者による組合活動侵害行為によって生じた状態を救済命令によって直接是正することにより、正常な集団的労使関係の迅速な回復、確保を図ることを目的とするものであり、私法体系の中で行われる司法救済とは異なること、原告は、被告補助参加人の存在を否認し続け、被告補助参加人との賞与を含む一切の団体交渉を行ってこなかったことを併せ考えると、訴外組合の組合員に比し被告補助参加人の組合員に前記のような不利益をもたらす新控除基準を適用することは、被告補助参加人の組合員を不利益に取り扱うものであり、不当労働行為に当たるというべきであり、賞与の性格や旧控除基準の意味付けを理由として不当労働行為性を否定する原告の主張は採用できない。

(2) その他原告が主張するところ(第三の一1(一)(2)、(3))は、前記(四)の説示に照らし、採用できないし(労働組合法一七条の解釈として、多数組合との労働協約の効力を少数組合に及ぼすことが認められないことは前記のとおりであり、これを認める解釈があるからといって、そのような解釈をとることが不法行為に当たるかどうかと、新控除基準を被告補助参加人組合員に適用することが不当労働行為に当たるかどうかは、別個に判断すべき事柄である。)、新控除基準の具体的な適用結果を問願とすべきであるとの原告の主張(第三の一1(二))も、新控除基準の適用それ自体が不当労働行為に当たるといえる以上、その具体的な適用結果を問題にするまでもないから、同様に採用できない(具体的な適用結果の検討は、新控除基準それ自体の適用の不当労働行為性を検討するに当たり、不利益をもたらすかどうか及びその程度の検討の限度において意味を有するにすぎない。)。

二  救済方法について

1(一)  労働委員会による不当労働行為の救済は、不当労働行為を排除し、申立人をして不当労働行為がなかったと同じ事実上の状態を回復させることを目的とするものであり、労働委員会は、その裁量により個々の事案に応じた適切な是正措置を決定し、これを命ずる権限を有するものである。

(二) これを本件についてみるに、原告が被告補助参加人の組合員に対し一方的に新控除基準を適用したことは、不当労働行為に当たるのであるから、その救済として新控除基準によることは適当でないことになる。その場合、従来の控除基準は失効しているとして被告補助参加人の組合員について何らの控除も行わないとすれば、被告補助参加人の組合員は、不当労働行為がなかった場合以上の救済を受けることになり、原状回復の範囲を超えることは明らかである。そうである以上、原告においては、他によるべき基準として、それまでの控除基準であり、かつ、それによることについて被告補助参加人にも格別異議のない旧控除基準があったのであるから、被告において旧控除基準に準じて控除を行うこととしたのがあながち不相当とはいえない。

賞与の支給月数については、控除について旧控除基準に準じて行うこととしたこととの対応上、本件命令のように六・二か月ではなく、六か月とすることも考えられる。

しかし、本件命令が差額支払いを命じた額は、新控除基準を全く適用しなかった額そのものではなく、原告が無断欠勤、無断職場離脱として取り扱った事例につき、旧控除基準に準拠しつつ、他方では、旧控除基準よりも被告補助参加人の組合員に不利な新控除基準の控除率(一日につき一二三分の一の割合)で控除率を計算しているのであって、旧控除基準をそのまま適用しているわけではないし、原告が訴外組合の組合員に対しては六・二か月を支給していることにも照らせば、被告補助参加人の組合員に対し六か月しか支給しないとするのは、原状回復として不十分であるといわざるを得ない。

このことと、本件命令は、原告が無断職場離脱、無断欠勤とした取扱いを一応是認した形で旧控除基準に準じて算定した差額支払を命じているところ、前記一2(三)(3)ないし(8)のとおり原告のした右取扱いには問題のあるものも含まれていることに照らせば、本件命令が支給月数を六・二か月としたことは、被告補助参加人の被った不利益の実質的な救済を図る方法として、必ずしも原状回復の範囲を超えるとまではいえない。

2  原告は、支給月数の増加と新控除基準は不可分一体であり、これを切り離して支給月数についてのみ昭和六二年協定を適用すること、控除基準として既に効力を失った旧控除基準を適用することは許されない旨主張する(第三の一2(一)、(二))。

しかしながら、右(一)のとおり、原告においては、よるべき控除基準としては、過去のものであるとはいえ、旧控除基準しか存在しなかったのであるから、これに準じるほかはなく、また、支給月数を六・二か月分として算定すべきであるとしたことが、必ずしも不相当とはいえないことも前記のとおりである。

もっとも、この結果、本件各賞与規定の支給月数と新控除基準とがいわば分断された形になるが、このような結果をもたらしたのは、本件各賞与に関し、原告が被告補助参加人との団体交渉を行わないまま、一方的に被告補助参加人の組合員に不利益となる新控除基準を適用したことによるものであるから、やむを得ないというべきであり、被告のとった救済方法が、不当労働行為是正のために被告に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又は濫用した違法なものであるとまではいえない。

三  結論

以上の次第で、本件命令が違法であるとはいえないから、原告の請求は理由がない。

よって、原告の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口幸雄 裁判官 松井千鶴子 鈴木拓児)

<以下省略>

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